阿蘇郡坂梨村是 明治35年5月
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1,表紙
2,1号戸口、2号男女年齢別、3号業務別
3,4号業務別の2、5号建物、6号農業別、7号商業別、8号の1地籍
4,8号の2他町村に於て有する地籍、8号の3他町村人の本村内に於て有する地籍、9号自作地小作地
5,10号なし、11号森林域内のもの、11号の2部分林域内のもの官7分民3分、11号の3部分林域内のもの官3分民7分
6,11号の4域外に於て所有する森林、11号の5域外の人民が域内に於て所有する森林
7,12号基本財産、13号共有財産、14号貯金
8,15号負債、16号牛馬、17号車両、18号、19号なし、20号資本、21号農産
9,農産
10,22号水産、23号なし、24号林産、25号土石
11,26号鳥獣、27号工産
12,28号商収益、29号報酬並に俸給等、30号労働賃金
13,31号肥料並に飼料
14,32号雑収入、33号の1国税、33号の2県税、33号の3村税
15,34号農産資料
16,35号水産資料、36号なし、37号林産資料、38号土石資料、39号鳥獣資料
17,40号工産資料
18,41号雑支出、42号食費
19,食費
20,43号衣住費、備考、収支計算収入、支出
21,消費、44号目次
22,1坂梨村の位置、2気候、3人民衣食住の状況
23,4交通運輸の模様、5物貨集散の概要、6農工商資本を要する重なる事物及季節、7資本貸借期限の長短抵当の有無金利の高低、8諸税滞納の有無、9農工商諸団体の状況、10農工商教育の状況、11勤倹貯蓄に付各種規約其状況、12時間実践の状況、13祭例婚嫁葬儀等の風習
24,14休業日の数並に習慣、15灌漑排水の完否及状況、16地質の概要、17田畑所有の廣狭、18田畑区域の廣狭、19業務の日数時間及労働の模様、20土地建物売買の件数並に価額、21土地建物質書入の件数並に金額、22地主と小作人との関係
25,23農作雇人を得るの難易及習慣、24人耕と牛馬耕との割合、25肥料売買に関する習慣、26山林植栽及伐採の状況、27林産副業の状況、28森林と水利との関係、29山林の盛衰及其基因、30家畜の状況並に盛衰、31重なる工業盛衰並に基因
26,32職工雇入の難易並に習慣、33労働者の階級種類並に情況、45号累年比較、戸数、人口、地籍、他町村に於て有する地籍、他町村民域内に於て有する地籍
27,基本共有財産、車両、備考、将来の目的方針、米
28,麦、玉蜀黍、蚕業、牛馬
29,林業
■本資料は坂梨宿出身で現在福岡市に在住され、坂梨宿場會の会員でもある高木さんから提供していただきました。 この場から厚くお礼申し上げます。 大変貴重な資料をありがとうございました。
■以下坂梨村是資料入手の経緯について、高木さんの弁。
坂梨村是は曽祖父が村長の時にできたと嘉悦さんの歴史講話で知り、村是を探していましたので入手した時は感慨深いものがありました。
岩手県立大学メデイアセンターのHPにマイクロフィルムがあることをWEBで見つけ、福岡市西区図書館経由でマイクロフィルムのコピーを入手しました。表紙とも30p(28、29Pが同一)です。 明治35年5月(1902)の完成のようです。 スキャナーで取り込み、PDF化、横書き変換するのは難しそうです。漢字も大分潰れています。
貨幣価値の換算が基準の取り方が難しでしょうね。 ざっと見たところ、よく綿密に調査し、記録に残したものと感心しています。時代背景には下記の状況があったようです。
全国的に村是、郡是の記録が残っているところは少ないようです。「明治27年(西暦1894)の日清戦争後の日本は、資本主義的な生産がようやく本格化してくるころであった。政府は、国
際的威信の高まりと、それに見あった国力の膨張を後方から支えるためにも、地方自治の財源の整備・強化に一層力を入れるようになってきていた。