江戸時代の坂梨出身力士

墓標                        調査 中川宿場會会員

 玉簾群蔵(たますだれぐんぞう)年代不詳 

 玉簾市五郎(たますだれいちごろう)文化3年1806年没

 若狭藤(わかさふじ)慶応3年1867年没 24歳病死  本名藤蔵
   墓地改修時に刀一振り出土 坂梨 古木様の祖先

 阿蘇森傳治(あそのもりでんじ)文化15年1818年没
   坂梨 宮崎様の祖先
   享和2年(1802年)5月 大阪相撲番付 西方 前頭12枚目
   享和2年(1802年)9月 大阪相撲番付 西方 前頭25枚目
   番付表(写し)の提供 相撲史跡・好角土俵 相撲史研究者 竹森様

■平成23年3月3日 相撲取りの碑 除幕式開催 碑文は次の通りです


【吹雪の中の開眼法要と除幕式】

(正面)
     故郷の力士之碑
 この碑は江戸時代から平成時代に活躍した力士を故郷の誇りとし
て力士の名を碑に刻し末永く伝えるものである
江戸時代の力士
 阿蘇森傳治 享和二年(一八〇二年)五月大阪相撲西方前頭十二枚目
       で活躍、文化十年(一八一三年)二月十九日没
 玉簾群蔵  年代不明 江戸時代活躍したと伝えられる
 玉康市五郎 文化三年(一八〇六年)頃に活躍したと伝えられる
 若狭藤藤蔵 慶応三年(一八六七年)享年二十四歳、江戸時代後期に
       活躍したと伝えられる阿蘇市一の宮町坂梨字古閑地内
       の墓地に眠る 墓石下から刀剣出土
慶応から昭和のカ士
 梅ケ谷小三郎(桜町) 松嵐繁道(古閑) 豆札川乙熊(馬場)
 馬場の里蘇次(豆札) 三山猛(福岡)  鴛ヶ峰次男(柿木)
 鯉の里信敏(柿木)  梅の花義廣(古閑) 雷神昭元(豆札)
 三ケ森久人(桜町)
昭和の力士
 三森久人 阿蘇市一の宮町坂梨字桜町三〇〇〇番地一
 第十回熊本県青年団体育大会優勝(重量級)昭和三十一年
 第十一回国民体育祭兵庫大会出場昭和三十一年
 全国青年相撲神宮大会(昭和三十六年)団体出場
 園田   熊本県代表監督・選手和田勝之(中通)岩下三吉(小野田)
 高宮道夫 選手 阿蘇市一の宮町坂梨字古閑二一三九番地
平成の力士
 碇 峻介阿蘇市立坂梨小学校四年生、六年生時わんぱく相撲全国大会(平成十九年 平成二一年)出場
 佐藤吉一阿蘇市立坂梨小学校四年生、五年生時わんぱく相撲全国大会(平成二十年 平成二一年)出場
 吉田侑希阿蘇市立坂梨小学校六年生時わんぱく相撲全国大会(平成二十二年)出場
坂梨小学校相撲部初代監督木正明・二代市原恭一・三代那須博文
*相撲史の調査、資料提供者、京都市相撲史研究家、竹森章氏
*墓石の調査、修復碑の建立には阿蘇市人づくり、地域づくり事業
 坂梨公民館、坂梨小学校同窓会、坂梨みどりの基金等を活用した。
*わんぱく相撲全国大会出場記念事業世話人 佐藤三郎 児玉勝 志賀昭男


(裏面)
     力士の生まれた坂梨宿場
 坂梨村は肥後と豊後の国境近くにあり、古くから交通による文化経
済交流の接点として栄え、豊後衛道・野尻・日向往還、日野道の要衛
宿場町として関所、藩の行政機構である手永会所一万二干石があり、
行政の中心地でもありました。
 江戸時代にば参勤交代路の宿場町として藩主が出府、就封時宿泊、
休息をされる御茶屋をはじめ、旅人宿・木貸宿・酒造業・呉服屋・問
屋・薬屋・医者等の屋号もちの家が約五十数軒、軒を連ね街は繁栄し
ました。
坂梨宿場のこのような賑わいの中で、地域の人々や旅人は娯楽とし
て相撲を楽しみ、人々に愛されながら多くの力士が育ちました。相撲
が宿場の交流の場の一つとなり、地域づくり、人づくりに大きく貢献
し、村は更に繁栄したものと思われます。
 また、馬場八幡宮秋の例大祭相撲大会には当時の大相撲の本家、吉
田司家当主も貴賓席御竈の奥から度々観戦されたと伝えられています。
 このようにして坂梨周辺の村々では相撲大会が開催され、四股名を
持つ力士が生まれました、その中には大阪・京都・江戸相撲に挑戦し
関取として活躍した力士違も出てきました。そんな力士違の郷土であ
るここ坂梨には彼らが静かに眠る素晴らしい墓石があります。その力
士違の中でも阿蘇森傳治カ士は享和二年五月大阪場所西方前頭十二枚
で活躍し、相撲史研究家の調査で番付表も発見されました。
ここに、江戸時代である享和・文化・慶応から昭和・平成のわんぱ
<力士の活躍を、郷土の誇りとしてその名を碑に刻し末永く相撲文化
を保存、正し<伝えるために碑を建立したことをここに記します。
 平成二十二年(二〇一〇年)十二月吉日建立
 立案者 阿蘇市文化財保護委員
     坂梨緑の基金代表
     坂梨緑の基金副代表
             中川竹久
             佐藤文男

 わんぱく相撲全国大会出場記念事業

 □このページは新たな資料により順次改訂します。