式辞
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  式  辞   同窓会会長 高 木 鉄 臣

 本日を卜しここに、坂梨枚百周年の記念式典を挙げらるるに当り来賓各位ならぴに現旧職員及び多数同窓会員の方々の、御来場を得ましたことは、御同慶にたえないところでこざいます。坂梨校は明治五年の学制公布の翌年、すなわち明治六年六月二日北駄原の地に弧々(ここ)の声をあげ、その後明治十一年三月、平口(へいぐち)石山さん所有の地に移転されて、隆成学校となり更に二十年十月現在の地に移り、校名も梨陽小学校と改められました。玄関の屋根の下にある、梨の実と葉のみごとなほり物は、当時の面影を今にとどめて、こどもらを温かく見守っているかの感さえいたします。また当時使われていたと思われる棟がわらは、今も学校に保存されています。

 また明治大正昭和の三代にわたる、数多くの教科書があります。これは単に坂梨校だけの誇りでなく、日本教育の変せんを知る上での、貴重な資料で正に重要な文化財といえましょう。

 古来坂梨は文教の地として知られ、教育尊重の気風は 一段と高く、昔から上級の諸学校に進学する人が、近燐の町村に比べて、非常に多かつたように思います。したがつて医学土学博士・大学教授など、或は実業界で名をなした方、或は教育関係など各方面に人材が輩出されていることは、私たちの喜びであり誇りでもあります。本年はまさに創立百年にあたり、この一世紀にわたつて、国民教育の柱石たる使命を果してまいりました。その間教育の進展、時代の変遷と共に、学校の歴史もいくたの推移を経て、常に発展の一路を辿りましたが、大東亜戦争たけなわとなるに及んで、私共の同窓会もその後中断のまま今日に至りました。 最近誰いうとなく、同窓会復活の気運が高まり、開校百年をむかえるにあたって会が復活され、今日会によって百年記念碑ならぴに坂梨校発祥の地と隆成学佼跡に、標柱を建てるはこびになりましたことは、各位と共によろこぴに堪えないところであります。

 記念碑の親石は、豆札部落十人持の山の中から、古閑明さん・同学さん・渡辺知己さん江藤徳興さんらのお骨折と、江上哲郎君の優秀な運転技術により、また古閑建設の近代的建設機械により無事に搬入されたのであります。尚この親石は豆札部落山林所有者各位の御理解と御厚志により寄付いただいたものであります。またこれが建設に当りましては、各部落評議員の方、建設委員の方々に、大変な御迷惑とお骨折をかけましたが、母校を愛する一念から献身的な御奉仕をいただき、無事にこの大事業を完遂できましたことは、唯々感激の外こざいません。

 私は会長として改めて、厚くお礼を申しあげる次弟でこざいます。

 母石の字は内山田先生に、銅板の校史百年の記は山口白陽先生に、それぞれお願いしたのですが、両先生共坂梨校の同窓生であります。 この百周年記念の行事は、十月二十七日の夜、突然発起人会がもたれ、その後評議員や建設委員を委嘱して、碑の建立にとりかかったようなわけで、何しろ期間がなかったのと農繁期とが重なつて、非常に、施工に無理がありました。皆様に大へん迷惑をおかけしたと思いますが、今年中に建てなければ百周年が過ぎ去るという、苦境に追いこまれました。いろいろと手ぬかりや、落ち度もあったことと思いますが、愛校心からやつたことで、他意はあ少ませんので、こ賢察の程お願い申し上げます。事業を進めるにあたり、坂梨地区は無論のこと、町内およぴ県内県外の会員各位から、およせいただいた御厚志に対し、衷心より謝意を表明いたします。

 尚、記念事業のひとつに会員名簿及校史百年を、一冊にまとめて発刊することと致しましたが、この方面は現校長軸丸先生と桜町の渡辺先生に、大変お骨折りいただいています。印刷の都合で、後日お届けする手筈でこざいます。また通知の発送、印刷注文など庶務一切について、教頭の井野先生に大変お手数をかけましたこと、厚くお礼申しあげます。 教育は国家百年の大計と申しますが、私共は創立百年を迎え、来し方をふり返り、恩師を偲び、先輩の偉業をたたえ、会員相互の情宜を益々厚くして、母校の発展に寄与し、次の百年への決意を、今日の出発点としようではあ少ませんか。いささか楚辞を述べて式辞といたします。

                         昭和四十八年十二月十六日

 

挨  拶         軸 丸    茂

 今日ここに、阿蘇教育事務所長殿、一の宮町長殿をはじめ、来賓多数の御臨席を戴き、同窓の皆さん、児童一同、一堂に会し、創立百年を祝うことができますのは、大へん嬉しいことでこざいます。坂梨校の歴史を創造したのは、まぎれもなく、その時その時の、地域各界の方々、同窓生、それに、学校職員児童であり、すべての人々の、「よい歴史をつくり、遺産を残そう。」とする努力の結果が、現在の本校であります。現在地に改築移転してから、八十六年を経過して、古くなってはいるが、まだしっかりしている本校舎、その棟に載せてあつたといわれる鬼瓦等に、創業当時の人々の、教育振興の心意気が、鮮やかに刻み込まれて、ただ頭のさがる思いであります。また、ここに花を生けてある花瓶は、学校創立当時からのものと思われ、校宝としこ棚の上に固定されていたものですが、今日の祝のために、昔を思い出してお出ましを願ったものでありす。

更に、本校舎脇の松の大木は、本校歴史の大部分について、祖父母・父母・子・孫・曾孫と、四五代にわたる児童の登校下校を送迎し、児童の善行も悪戯も、知りつくしているものと考えられます。今日は、創立百年を記念して、町教育委月会並びに同窓会から、それぞれ記念品を戴くとか聞いて居りますし、同窓会では、記念行事の一環として、先日来、非常を労力と莫大な費用を投じて、三基の記念碑を築造されましたが、これらは、本校の歴史に、新しく一ベージを加えた事柄といえましょう。私は、本校百年の歴史の上に立って、更によい歴史を創り加えるべく、児童教育に力を尽くしたいと念願しております。又、将来、本校が改築される機会が来た時には、少なくとも本校舎だけは、「明治二十年移築の梨場小学校校舎」として、現状む保存して戴きたいものだ、と考えております。

 次のものは私の感想であります。体裁をなしていないと思いますが御容赦を願います。

      祝百年

   老松擁甍仰霊峰

   梅花誘春撒清香

   実業論壇人如雲

   一百螢雪坂梨校

 これで私の挨拶を終ります。  昭和四十八年十二月十六日