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昭和八年(一九三三)調査 肥後国 阿蘇郡俗借(唱えごと)採取記録 採取者 八木 三二 氏(大阪) 採取地 (宮地町・坂梨村・古城村・中通村ほか)
平成十三年十二月十日(2001) 民俗関係史調査
肥後国阿蘇郡俗信 (唱えごと)誌調査について 嘉悦 渉
肥後国阿蘇郡俗信誌は、大阪府八木三二氏によって採取記録されたものである。氏は昭和ハ年(1932 )ごろ阿蘇郡に来り各町村を巡回、またその町や村の古老に会い約四十項目にわたり綿密に調査採取記録されたものである。標題は、阿蘇郡俗信誌となっているが郡内でも特に 氏は、昔から大事に伝承されてきた、こうした、俗信(唱えごと)は、近代文化の発達により歴史の彼 方に消えゆくであろうことを想定してはるばる大阪から阿蘇に来り研究してその一首一句のことだまの 呪力が氏の感概を強くし、心を揺り動かしたと思われる。 平成の現代当町においてもこの俗信は全くといっていい程に死語と化しつつある。筆者が幼少のころ(昭和初期)不測のことがおこった場合父母がお年寄りがこうした唱えごとをして大事に至らぬように天地にお祈りお願いしてもらったことを懐かしく憶う。その唱えごとにより、不思議とその大事からのがれたような安心感が漂うのを覚えたものである。
こうした記録は町にも殆ど見当たらなかったが、 氏の俗信に対する深い造詣と執念にも似た採取の努力に対し心から深甚の意を表したい。
肥後国阿蘇郡俗信(唱えごと)採取 唱えごとは一般に 「うたよみ」との言葉ではあるが必ずしも三十一文字ではない。
1、何かの際「こん歌で理詰めにします」タイ (宮地町字石田佐伯猪熊(六七才) の言葉) 2、 このうたよみを行う時の儀法としては 古城村・坂梨村では必ずこの呪歌・呪句?を三度唱えて最後にアブラウン(又はオン)ケンソウカとの真言を加え、口より息をフツフツと出して吹っかける。 以下この唱え言を適宣分類して記す。 (イ)衣に関するもの 一、阿蘇では 「寅と八日にもの裁つな袖に涙あふる。」との俚諺がある、その日を忌しんで 「酉の羽重」 とて酉の日を選ぶが(但し、織を織り上げた日はたとえ、いかなる日でも物忌みしない)是非このもの裁ちの悪い日において布を裁たんとすれば次のうたよみをして裁てば、その難をのがる。 佐保姫の教へ始し唐衣時をも日をもいとはぎりけり。(宮地町 古神) 二、着物を昔ながら、そのほころびや、破れをつづくる時、又物差しではかる時には、次のうたよみを する 山田ン肝入殿の?子が死なしたきり、早よして、行にゃ、遅くなる。 (宮地町 必ず三度唱える) 又 (坂梨村では、一度唱える処もある。)
山田ン肝入殿の?子が死なしたきあ、せわし。( 小鳥や小鳥や鳥が(な?)着物着て着物きながら縫うぞめでたき。(宮地町) 三、縫れた糸を解くときに詠むうたよに
いそがしやいそがしや磯辺の石に腰かけて、心いそがし、糸をとるなり。( いそがしやいそがしや磯辺の石に腰かけて、心静かに糸をとくべし(内牧町駄原) いそいそと磯辺の石に腰かけて糸を解くなり(内牧下町) 「糸が繰れて心くやしき」を三度。(宮地町下町)
(ロ) 動物に関するもの 四、便所で時鳥(ホトトギス・タンタンタケジョ)の啼き声を聴くと、必ず大いたみする(大病になる)が死ぬるかなどの難があるがそれをのがれる為に
ほととぎす今日は初音と思うなよ昨日もきいた今日の古声。 (宮地町塩井川・ ほととぎす今日は初音と思うなよ聞き、知りきいた今日の古声 (宮地町古屋) ホケキョヨわれは初音と思うかや、昨日も聞けば今日の古声 (古城付北坂梨) 又初時鳥の声を聴くのを忌むがそれを避け為にこの歌詠みをすれば、その年の難をのがる。 又初音を座して聞けば其の年は楽に暮らされ寝て聞くと、其の年病多く、便所で聞くのが一番悪いと される。(宮地町古屋) 五、闇夜に鳥噂きを聞けば、何かの悪難その一身に降りかかるといわれるが、この難をさくるために次の 歌を三度詠めばよろしと。 闇夜鳥のなく声(なく時ともいう)きけば月夜鳥はいつもなく。(宮地町石田) 闇夜鳥の声聴かず月夜鳥はいつもなく。(宮地町古屋) 六、時に正月また、夜の明け前に鳥の暗声を聞いた時の歌詠みに 闇の夜になかぬ鳥の声きけば生まれぬさきの父ぞ恋しき。とよんでその難をのがる。(長水村赤水) 七、道を歩いている時イタチが横切ると、その道を行くのを避けねばならぬが、捨て置けぬ用事のあると 遮二無二通らねばならぬ時に次のうた詠みを三度なせばその難をのがる。 いたち道きり、ちみちぎりわれはそち行け俺はこち行く。(宮地町石田) いたち道、血道、横道、曲り道そっついけ俺はこう行く (中通村原口) ふみわけていたちは死する、俺は繁生 ( ハ、 又、イタチが横切るとき右から左へ切るのは何事も災厄が起こらぬが左から右に切った時は、 いたち道、血道、横道、近い道、我が行く先は、黄金花咲く。と三度唱えればその日の難はのがれる。 又、蛇の場合も同様である。(宮地町古屋) 蛇の場合には (古城村北坂梨村にては) 蛇道切り血道切り、我が切れば、俺も切る と三度唱えアブラモンケンソウカとも言う 八、 山に行く時、蛇に逢わぬように、又真蛇より食いつかれぬように ちりふ (池鯉鮒)大明神と三遍唱えて行く (中通村春口) 東山甲佐が滝のかぎわらび忘れたか蛇忘れぬか蛇(三編唱える)
すれば蛇の方から退却する、これは蛇が「ドグロ」をまいた真中をわらびが突通って出ていたのをとって助けたのによる ( 東窓( )甲佐の滝のかぎわらび昔の恩忘れるるな(三編唱えてアブラウンケンソウカの御真 言を唱え このジュ一匹の蛇がその頭に杙(くい)がささっていた。その杙は地までぬかっていた。丁度その地の下から蕨ががぎをもたげて生へ延杙がぬけて、蛇は生命を拾ったと、言うことに、由来するのである。 十 又、ここに起因して野や山に出て、真蛇に噛まれぬように一番蕨をばとり、足や手につけるのである。 、 又、蛇に逢ってその蛇を除ける唱えごとに 盲蛇やどけどけさね馬飛ばするぞと言えばすぐのくる (古城村東宇野) 盲蛇どけどけ梶原の源太が通るぞ当宮地町に梶原屋敷とて源太が奇跡を伝えるものあり。(古城村 北坂梨) 十一 馬ん虫がせくとき即ち腹に虫が湧いてそれに苦しめられる時に 大阪の八坂の坂中で虚無僧に逢って鯖三匹盲うてこの虫早せきやませ。 と唱えて笹の葉でその腹をば撫でその笹の葉を食わすればせき止むと言う。(古城村北坂梨)
ハ 身体に関するもの 十二 子供が何かに頭をうちつけた時。 アブラモンケンソアカ、チョチョラチヨットヨーナシ。と唱えて撫でるとよい。(宮地町石田) アブラモンケン、蕎麦(ソバ)猫、八幡大菩薩と三度なで、フツフツと息をふきつける(宮地町・ 十三 しびれの切れた時は額に三度つばを (唾) をつけて 親のつば、親のつば、親のつば、と唱える ( 古城村北坂梨では同じく暫く唱えて親指につける。この唱えごとをば又、額に、藁のシビを唾でつ けて しびれ切れ、しびれ切れと唱える (宮地町植木原) 十四 怪我をした場合、血 (アカブとも言う) が出る時には この血を止めよ 血の道の神 父と母とに相違(チガイ)なしと 三度唱えアブラモンケンソアカ と言い息をはく (古城村北坂梨) 十五 しやつくりが出た時には、再びこれを繰り辺えさぬために、朝顔,朝顔,朝顔と唱えごとをする。 十六 眼に埃のいった時は、その埃りをとる時の詠みに、 仏さんの後ろに白手拭冠って盗人が入ったホイホイ(内牧) 俺りが畑に馬ン子が入ったけ、一寸追して呉れ。を三遍(宮地町植木原) 又、古城村北坂梨では右の目に埃りの入った時は、左の頬(ホーオペタ(フード)を内から三遍ねぶり、左の頬をそうするともつたえる。 十七 群の一人に眼病(ヤンメ)が居るとよく子供は、眼病うつるな、親子じゃないぞと唱えれば、眼病が伝染しない.と伝える (宮地町植木原、古城村北坂梨) 十八 眼の悪い時には各地におまつりしてある、生目八幡様に 景清の輝す(テラス?)生目の水鏡末の世まで雲らざりけり の真言を幾度も唱えておまいりする(宮地町 植木原)
又、次の呪文を毎朝三度唱えれば悪質の眼病も治癒すると言う。影清様には、三十二歳の御歳に伊賀殿 (注)当阿蘇郡には、生目八幡とて影清を多く斎う詞あり。なお、隣接の宮崎県生目村影清社に、当 地より遥遥と参詣する者多し。 十九 歯のうづく時は、朝顔を洗ってからその儘北に向き ついちょう菩薩様、歯がうづきますからどうぞうづきやませて下さい。御願解には、又うづく者に知らせますけん。と言って拝む。(中通村春口) 子供の替生歯の時には下の歯ならば屋根の上に捨てて、
俺歯と雀ン歯とはえくれあいご (宮地町・ 俺歯と雀ン歯と生ふ (又ウール)くらいご (尾ケ石村・内牧町・宮地町) 又、この次に、俺の方が先にはゆ等の句もつける。(宮地町植木原)若しその歯が上歯ならばゆかの下に捨てて俺歯と鼠ン歯と生ふ (又ウール) くらいご (尾ケ石村・内牧町・宮地町) 又、先に同じく、この次に俺の方が先にはゆ等の句もつける。(宮地町植木原) (注) この俗信採取者八木三二氏(大阪府) の郷里、大阪にては、下歯は、便所の屋根の上に、上歯は雨滴石の所に捨てて、ただ、単に早く生えることを祈った。大阪と阿蘇の違いはあっても上の 歯は、下に、下の歯は上に捨てるという習わしは実に興味深い。 二十一 咽喉(ノド)へ魚の骨を立てた時は 天竺(テンジク)の七つが池の自鯰鵜の咽喉通る鯛の骨かなと三度唱えてアグラオンケンソアカを唱える (古城村北坂梨)
うののど うののど うののど と三度唱えると骨が通る ( (注)長野県北安雲郡郷里誌にうののど うののど うののど 三度唱えるとあり。 二十二 手首が痛む時即ちおすち腕が折れたという時には、
東窓甲佐が滝に立つ夫(男なら女・女なら夫)招きとうても招かれもせず。三度唱える ( 東窓甲佐が滝に立つ (男・女)すらうでおれて招くことすれど招かれず。(古城村北坂梨) 二十三 手足に胼胝(マメ)のできた時には、手又は煙管の雁首(雁八と言う)で撫でてやっとことんとんなんまいだ。と三遍唱えてアブラオンケンソアカと唱える。 (古城村北坂梨) 二十四 子供が水瘡にかかった時には、いながわの水せき上げて見れば水量はなしと三度唱えて、アブラウンケンソアカを唱えれば、なおると言う 二十五 妊婦の後産即ち胞衣が下りぬ時には、次の歌よみを三度してからその腹をば撫でまわすと立派に下りる。 天神の梅のこぶくに胞衣かけて吹き来る風は今もいや 二十六、子供が寝入ってから便所へ起きる癖を止めるために囲炉裏(イロリ)の自在鍵の上部の竹に藁をばゆわいてつけて どうぞ起きません如ツ。と唱えごとして又、起きまっせんならこれを解きます。と御願立て、 この悪癖より遠くなるとこれを御願はどきに解くのである (宮地町植木原) 二十七 川へ小便をまり込んだ時の歌詠み ガツパ、ガツパ河ざらへちくれ、小便まり込んだア。(宮地町) 川ん神さん川ん神さん、どうぞ小便ばさせち下はいマツセ (内牧町、下町)
ニ 異変に関するもの.
二十八 夜空の飛び去るのは、即ち流れ星のあるのは、死人があるとて一般に忌まれているが見た時にはイロシロ、カミクロ (
二十九 地震(ナイ)がゆる時はには地が引き割られるき(地表に亀裂が生ずるから)竹山ン中へ逃げ込み、ホイホイ又はホーイホーイと唱え、地震を追いやる(阿蘇郡全般)
三十 雷がなる時には、 桑原 桑原 桑原 と唱えれば落ちない (宮地町その他一般) 又、雷が落ちん如ツ各戸に桑畑を持つという。又途中で雷に逢った時には、その背襟に、附近の桑畑の枝をとって、さし、同じく桑原 桑原 桑原と唱えて逃げる。又家中では八大竜王様にお線香を上げて祈る。(古城村北坂梨) 三十一 火事のある時には、神壇におまつりしてある、伊勢大神宮のお守り札を下して 伊勢の神風ホーイホーイと唱えてそれであおぎ風がこちっやん (こちらへ) 例れんごツす る。 (宮地町植木原・古城村北坂梨) 三十二 火の用心のうたよみ、弘法大師作という 霜柱氷のはしりに雪の桁雨の垂木露の葺草と三度唱えアブラオンケンソアカを唱える (宮地町塩井川) 三十三 火の玉をば見たときには、人の玉か我が玉かは、知らねどもつなぎ止めたる下前柱と唱えて三針縫逆真似(サカマネ)をばする。(宮地町) 三十四 夜中に何かある時、たとえば火事が盗人が入ったりした時にすぐ目覚めるように就寝前次の歌をよみ三度行ない、後にアブラオンケンソアカとつける。古城村北坂梨では親指をこの時三度噛んで唱える。 寝るぞ、ねだ、頼むぞ垂木、梁柱。(宮地町古屋では、梁屋中又古城村北坂梨ではサス屋中) 何事あらば起こせ棟の木(宮地町広木) 寝るぞ、ねだ頼むぞ屋中竹(赤水村永草では、床の意味で巾中竹) 何事あらばおこせ棟の木(宮地町塩井川) 又、おそわれて怖れがあったときにもこれをうたう。
ホ 夢に関するもの 三十五 就寝前に次のうたを三度唱えて床につけば決して夢を見ぬ。 しやもしや、いねや、さるねや、我床をねるぞねたるぞ、ねたるぞぬるぞ (宮地町広木) 又同町古屋にては、南無阿弥陀仏と三度唱えればよし。
寝るぞ猫頼むぞ桷獅子兎 何事あらば起こせかわうそ ( 三十六 前夜悪しき夢を見た時には、翌朝ゴツト起きに (起きてすぐ) 何も食わぬうちに よーベの夢を天の獏(バク)に食わする。と三度唱えて、天に唾を三度はけば、その悪難をノガルと言う (宮地町石田) 今晩の夢は獏に食わする獏に食わする。と三度唱える (古城村北坂梨) 三十七 櫛が落ちて居てこれを拾う時は、元来、投げ捨てた櫛を拾うと縁が切れると言われるが、 悪事災難をのがるべしと唱えて理詰めにて拾う (宮地町石田) 三十八 失し物をした時には、掌に唾をのせて スズムシ、スズムシノウナツタガドチイタトゥカ と唱えながらベシャンとその唾をば打ち、その飛んだ方向を見つける。又、道に迷った暗も同様にして定める。 三十九 物失せぬ如ツ 浮草の一葉なれども磯隠れ心のかけて浮ツ白波と紙に記し金入れ等失容易き物の中に入れて置く(宮地町) 四十 順天観音を拝する時の唱えは ナマサツタナム、サンビヤクサンボタウ、シナンテ、ナタ、オンシャレイシレイ順帝ソアカ (宮地町)
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