くらしのあゆみ 一の宮
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発刊のことば
当協会の皮工芸分野で理事としてご尽力いただいております 山部チモト様を中心に五,六人の方々が4年前より伝統文化を研究され、先人達が築き上げた歴史的な民族文化を中心に 平成一四年十月十日
岩永 浩
発刊に当たって
広大な阿蘇の自然に抱かれ、豊かな歴史と文化を今に伝えるところ、それが私たちの住む 「田舎に他人なし」といわしめるように「阿蘇の人」は、ことある毎に相集い喜びも悲しみも分かち合い、苦楽を共にしてきました。しかし現代社会は戦後の高度成長と戦争のない平和により物質文明を遂げ反面、ややもすれば豊かな温かな心の文明が忘れられようとしています。 このときにあたり山部 チモト先生は幾百年もの間に培われてきた「阿蘇の人」の生活習慣や共同互助、友愛、団結、ことばに代表される方言、ことわざなどが歴史の彼方に消えてゆくことを憂え、文字や図、絵に置き換え「くらしのあゆみ 一の宮」として編纂されました。誠に喜びに堪えません。 本書が今後多くの人々に愛読され、活用され、現代の人々の心にぬくもりを宿し、文化遺産として これを継承保護になるならばこれに過ぎる喜びはありません。
平成一四年十月十日 嘉悦 渉
はじめに 山部 チモト
昭和七年〜十一年、阿蘇高等女学校時代に英語や地歴担当の 八木 三二先生より、よく宿題が出ていました。それは「土地にある伝説や諺、迷信など何でもいいから年寄りの人に聞いて来なさい。」 と言うことでした。私は近くのおじいさんにおもしろい話を聞いては書き取り提出していました。 先生は大阪の方で私達の卒業後に郷里に帰られました。私もいつしか年老いてしまい、七十歳を過ぎた頃より昔に聞いた話が思い出され「何かにまとめて見ようかな。」と何度か思いましたが「いやとても大変だ、止めとこう。」と諦めていました。
ところが八十歳になってふと「やっぱり惜しい。何とかしなければいつか消えてなくなってしまう。」この気持ちが強くなり、少し応援を求めて見ようと思い立ち、当時町の文化協会で活動中の皆さんに勇気をだして呼びかけました。幸い興味を持って下さった方が参加され、絵に音楽に、又取材にとそれぞれ特技を活かして頂き、「 内容は、阿蘇神話や民話の伝承と古きものの堀り起こし、保存を目的としてしました。わたしは大正八年生まれですが明治中〜末期の方々から聞き取りと、昭和初期にかけて私共の暮らしの中で拘わって来た事を資料も交えながら集めた生活記録です。 仕事を進めて行く中に、町の歴史をまとめおられる嘉悦 渉様にも特別参加して頂きましたところ「町史の編纂を終えて塵を集めていた時「肥後国」と記した古い紙切れが目に付き、開いて見たら、宮地、坂梨、古城、中通各地から集めた俗信(唱えごと)で、文字もやっと判読する程の古紙に、大阪 八木 三二採取と書いてあるけど、どうして大阪の人がこの一の宮の古い事を調べて残してあるのか分かりません。」とおっしゃるのです。わたしは咄嗟に「その方ですよ、私に宿題を出された方、八木 先生ですよ。」 思わず力が入りました。皆さんもびっくりされて何か不思議な因縁を感じました。 又その後日、熊本日日新聞に大阪外国語大学の三原教授が「阿蘇山麓の口承説話」と言う本が200冊程余っているから入用の人には無料で上げます」という記事を見て早速申し込み、送って頂きましたが、この三原教授も長い期間、学生を連れて阿蘇で取材され、製本されたものでした。それに不思議なことに先の八木先生はこの外国語学校の出身であることがわかり、又三原先生も私のやっている事に大変共鳴して頂き、励ましとアドバイスもして下さいました。とても出来そうになかった事を文化協会長 岩永 浩様を始め、町の歴史に詳しい 嘉悦 渉様、又私の大先輩で九十歳の小野トキエ様に取材のご協力を頂き、又その上更に幸せな事に 高木義臣様、地元坂梨出身の方で、現在福岡にご在住で、定年退職され「郷土の役に立ちたい。」とおっしゃる方との出会いを頂いて、すべての原稿をパソコンで仕上げて下さっています。 今年 五年目で一応完成としましたが、まだまだ足りないことばかりです。一度は諦めていた事が「やろう。」と言う気になった時、不思議な力を頂き、郷土の記録として、或る一時代の暮らしを書き残すことが出来、又これを元にして更に地域の発展に活かす事が出来れば大変嬉しく思います。 皆様方の御協力に心から感謝申し上げます。
一の宮伝統文化協会 会員名簿
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