2 冠婚・葬祭
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2 冠 婚 葬 祭

2 冠 婚 葬 祭と年中行事(子供向け)

 

 

@ 結婚式  

A 葬式

B 子供向け年中行事

 (1)結 婚

結婚は人生最大の慶事です。「共に白髪のはえるまで」と、その結婚にピッタリの言葉として古くから言い伝えてきました。

 人生最大の慶事として ふるさとの阿蘇では大事な娘を嫁として迎える為には婿方としては出来得る限りの礼を尽くして目出度い日を迎えるべく大変な努力をしました。近時 結婚に際しては憲法の定めるところにより随分と自由、簡略化されました。しかし、私たちの先人が結婚について踏襲してきた儀礼を今一度ふりかえってみるのも大事なことではないでしょうか。

                                嘉悦 渉 記

 

項    目

     内            容

仲人

 ナカウド 阿蘇ではナカダチと言う。

ナカダチするよりさか立ちせよ」といわれる程苦労の多い大きな役目です。

のちには新夫婦の「ケンカ」「別れ話」などの仲裁役、責任もあります。

「ンカダチ」するよりさか立ちせよ」のいわれがよくわかりまっす。 もらう方の親から先方(娘方)にも顔のきいた適当な人に酒1升をもって頼みに行きます。仲人は先方の親と会って内諾を得ると娘方の方からも仲人をたててもらう。

 正式の申し込みの前に両仲人は「シタヅクリ、クチギキ」などを行い、これで十分と見て正式の申し込みとなる。1回の交渉で成立することはない。普通23回である。娘を嫁にやる気あっても大事な娘、簡単に嫁にやれぬ、親の娘を想う心、親の威もチョット見せねばならぬ。恋愛・見合いの場合も同じ。

 

 

済 樽

 娘方と数回の交渉、承諾の返事をもらうと仲人は酒肴を整え娘方へお礼に行くこれを「スミダル」という。「タルイレ」とも

 

親の礼

 「オヤノレイ」 「オヤンリ」という。済樽が終わると、数日後婿方の両親親族の代表者が酒肴を整え、餅、赤飯を重箱に詰め仲人と共に娘方へお礼に行く。

善は急げ折角の縁談がこわれないように祈りにも似た親の温かい心。

 

礼婿入

 

 婿逃げ

「レイムコイリ」済樽、樽入れが終わって挙式まで、日数が長くなると礼婿入りする。これが済むと娘のところへ通ってもよい。

礼婿入りの時、婿は吸い物の蓋をとると、一目散に逃げ帰る。「ムコニゲ」

 

樽入れ

「タルイレ」結婚式の前日に行われる。現在の結納か。時代、家柄によって品は異なるが、一般には帯、末広(センス)お茶、済樽、肴(芽出鯛)傘、履物、反物等

之に子生婦(コンブ)勝男武士「(鰹節) 友志良賀(トモシラガ)寿留女(スルメ)などがめでたい名として加えられた。

 この日婿方が嫁の家におもむき、タンス取りといって荷物を引き取る。いわゆる嫁入り道具でタンス、タライ、フトン、鏡台などで他村からの場合は馬車、馬、牛、で運ぶこともあった。「どうか、どうかあすこの嫁入り道具の多さ」と娘に対する精一杯の愛情でした。 挙式、披露宴に備えて両家とも障子、ふすまの張替、畳替え、料理の準備に追われ、ムラでは祝儀の加勢といって祝儀の前後3日間の夜は夜更けまで続きました。三日目の夜は女座といって女ばかりを招き、その労をねぎらったものでした。いなかに他人なし古き良き時代でした。

 

かね付け祝い

「カネツケイワイ」結婚式、いわゆる祝儀の前日に行われ嫁方の行事。

 

出立ち

「でたち」嫁は家を出るとき、「デタチ」の膳につき、仏壇に手を合わせ、先祖の霊に出てゆく実家の無事安泰を祈る。家を出るとき洗米をまく。

 

 

中   宿

「ヨメヤド」とも。嫁方の仲人の家に立ち寄り、化粧、衣装直しをして一休みする。

 

 

祝 宴

嫁が部屋に入ってから挙式 高砂の謡のうちに三々九度の夫婦盃、親子、兄弟固めの盃が終わって祝宴(披露宴)となる。料理、配膳についてはそれぞれに村々によって異なるので省略する。

祝宴は祝儀の日を含めて通常三日位が普通である。家によっては七日位続くこともあり花嫁の心労は大変なもの

 

嫁ふけり

「ヨメフケリ」祝儀の日に婿の母親が隣近所に「嫁がきました、どうぞよろしく」と紹介して廻る。

 

三つ目

「ミツメ」 祝儀の三ヶ月目「ハツアルキ」とも。新夫婦と婿方の両親が嫁の実家へ挨拶に。

 

初歳暮

初めての年の暮れに鏡餅(一重ね、一斗以上)ぶり、酒樽などを持って新夫婦そろって妻の実家に挨拶に。大風呂敷に鏡餅を背中に負うて行く姿をよく見かけたものです。親が存命中は続けられる。

 

初正月

新夫婦そろって嫁の実家へ年頭の挨拶。両親もそろって行くのが礼儀。

 

備 考   (1)

参考文献として阿蘇郡誌、資料阿蘇を利用。また、一宮町を中心とした慣習によりました。しかし、村々、部落によってはこれと異なる慣習、風習が多々あると思いますが通俗的なものを記しました。御有恕願えれば幸いです。

 

 (2)葬  儀

死は人生最大の不幸にして、近隣に死人親戚はもちろん、隣近所相集いてその死を悲しむ。死の確認が終わると通夜(夜とぎとも)葬儀一切を組内、いわゆる葬式組が執りしきられる。「田舎に他人なし」とはよくいったものである。阿蘇地方で葬式組によって行われてきた。葬式のその慣習を記録してみよう。

                                   嘉悦 渉 記 

項    目

     内            容

死の予兆

 雌鳥が鳴いたときは死人がでる悪い 火の玉が飛んだときは死人がでる

とも。 死者は仏壇のある部屋へ移し北枕にして安置する。死者には必ず近親者がつき、離れてはならない。枕元には一本花、一本線香をたてる。神棚には扇をさかさまに、又は白紙で隠す。

 

便り付け

「タヨリつけ」二人一組で凶報を死者の身近な人の家へ知らせる。その距離、範囲は組であらかじめ定めてある。

 

枕飯し

(マクラめし)

死者に供える枕飯は余してはいけないといわれ、茶碗一杯分の飯を炊き、箸は一本たてる。

 

通夜

 僧侶の枕経が終わり死者を偲び近親者、知人相集い夜更けまで死者をにぎやかに追想する。接待は葬式組で執しきる。目覚ましとして酒、握り飯、芋にしめ等が霊前に供えられる。目覚料でもよい。

 

湯潅 (ユカン)

通夜、夜とぎ客が帰ったら、死者の近親者の手でユカンが行われる。ユカンはたらいの中の水の上に湯を加えたものである。ユカンをする時は死者に必ず声を掛けてから起こす。身内の者は死者に声をかけ、身体を入念に洗う。

水や湯を注ぐときは「ヒシャク」の右側からそそぐ。ユカンに使った水は畳をはいで床下に流す。

 

入棺

(ニュウカン)

死者がつける着物は逆さまにして左前にして着せる。死者には六問銭をもたせ、これを冥土の渡し賃といった。入棺するとその空間には「モミ殻」を詰めた袋を入れて死体が動かぬようにした。また、死者が生前愛用したものを冥土まで持たせた。

 

葬式

おとぎ

野辺送り

葬式は死亡の翌日行うのが普通であるが、「友引」の日は之を避ける風習がある。出棺には僧侶、近親者、知人友人が相集いしめやかに行なわれる。

出棺まえには死者との最後の食事の別れとしておとぎの座が設けられる。葬式組みの女性の手により飯炊きから配膳の準備、後片付けまで一切が行なわれる。

 出棺から墓地までは、葬式組みの男手により葬列が組まれ日没後に行なわれた。

 明治35年(190210月葬儀、野辺送りの例:

◇ 池掘り 2人。 ◇ 天蓋および龍。一人一旗。4

◇ 六道竹及び鍬 野辺団子 1人 1灯篭。2

◇ 持花 2人 ◇ 四花 1人 ◇ 香炉位牌。 1

 宮地町仲町葬儀記録による (死者は禅宗)

 

葬式礼廻り

(男子が廻る)

 葬式の翌日 日没頃から葬式組み及び近隣の知人、親戚宅へ喪主をはじめ死者の最も身近な身内の者が紋付羽織はかまに威儀を正して礼廻りをする。家紋入りの「ちょうちん」を必ず持ち「ロウソク」に火は付けない。回葬、廻葬の礼ともいう。

 

寺参り

三日目には礼参りとして近親者一同そろってお寺へ礼参りをした。寺参りという。なお三日目には遺族宅へ泊まってはならない。遺族にはとては一番淋しい日である。また、三日目には「身(み)悔やみ」といって悔やみに行ってはいけない。

 

その他

1、四十九日まで七日毎に逮夜(たいや)を行う

 一七日 (ヒトナヌカ、ヒトタイヤ)二七日 (フタナヌカ、フタタイヤ)

五七日(イツナヌカ、三十五日)とも言って、お茶を入れをして親戚 知人を招く。

2、 年忌は一、三、七、十三、二十五、五十年忌という法要を行う。

 

備考    (1)

      

 

      (2)

 

      (3)

参考文献として阿蘇郡誌、史料阿蘇及び宮地町仲町葬式記録〔規則〕及び便り附け名録、嘉悦家記録を利用させていただきました。

 

霊前に供える目覚、香典などは墨をする時間ももどかしく急いでまいりました。との意で墨字は「うすく」封のしめは〆でとめるのが礼儀とされる。

 

本稿は仏式による慣習 儀礼によりました。

 

                              

(3) 子供向けの年中行事

 (年中行事の中で子供中心、お楽しみ行事)

 

  月

 行  事

 内          容

年末〜正月

 

 

  歳暮

 

 

 

 

 

 

年の暮れに子供たちへのお歳暮

・ 足袋 (別珍たび、コールテンたび、ビロードたび)

・ 下駄 (さしげた、ひらか)

・ 前だれ (ネルの柄物)

 ・

・ 髪かざり (くし、おさげ止め、ビン止め)

・ 遊び道具 (女児) てまり、おじゃめ、羽子板、やさら

       (男児)  たこ、サギ足、こま、打ちおこし(めんこ、パンパン)

 

 

  餅つき

* こんな新品を買ってもらって大喜び、正月が来るのが楽しみだった。又餅つきもたくさんのお餅を大勢で搗いて、部屋いっぱい並べて子供も手伝い、楽しみの一つだった。

 

 

  鬼火たき

  (7日)

 

 

 部落の道の四つ角に場所は決まっていた。鬼が部落に入って来ないように火で防ぐため。青竹をパンパン燃やして、青笹で体を払い病気をしないように、そしてまた火にくべた。残った火を少し持ち帰って餅を焼いて食べた。

 

 十四日のもぐらいとん(モグラ打ち)

 

 木の実がなるように

 

 

 竹の先にワラを巻きつけて、くくり、地面をモグラがもたないように「十四日のもぐらくいとん」と叫びながら叩いてまわる。

 

 モグラ打ちの竹は二つに折って、成木に引っかけ、ナタでおどす。「なるか ならんか、ならんなら打ち切るぞ。」と言うと、もう一人が「なります なります。」と言って木にかける。

 

 

 かせどり 打ち(夜)

 ワラやナワで丸い輪を作り丈夫な綱をつけて 長く引くようにする。これを部落一軒ずつ廻って「かせどり打ち」と言いながら投げ込み、その家の人が総出で引く、一方子供たちは「ヨイサ ワイサ」家の人が負けたら、お餅をたくさんお礼にふるまう。

 *子供たちはもらった餅でぜんざいを作り、みんなでぜんざい会をする。

 

 

 十五夜

  (綱引き)

 大きな綱引き用のツナを作り、大人も子供も一緒になって部落の道で、川を境に南北に別れて「ワッソイ ワッショイ」綱引きをしていた。

 

 3 月

 おひなさま

 ひしもち作り

 ・ よもぎもち ・甘酒 

 ・ 雛人形

 

 せりつみ

 

 

 

 タニシひろい

 

 

 

 まつりあげ

 阿蘇神社

 あめがた市 長アメ、切アメなど様々な飴の市が立つ。

 サーカスが大賑わいだった。

 4 月

 花まつり

・ おしゃか様のアマチャくみ

・ れんげ草かざり

 

 5 月

 

 節  句

 鯉のぼり、屋根かざり、 しょうぶ湯 (よもぎ、しょうぶ)

・ チマキダンゴ ・しょうぶの鉢巻 ・

 7 月

 

 

 

 

 

 おんだ祭り

 

 

 26日 国造神社

 

 28日 阿蘇神社

 

 

 

 

 祭りが近づくと、必ず若い男の人は毎晩、各家々を廻って練習があった。何とも言えぬ歌の響きが遠くから聞こえて来て、祭りが待ち遠しかった。

 

 浴衣の着物を作ってもらった。 小遣い銭をもらった。

  新しいゆかたを着て、小遣い銭を持ってお祭りに行くのが、とても嬉しかった。

 おみこし様をくぐって、出店で買い物をするのが最高の幸せ。

 (氷屋、バナナせり、のぞき、見せ物小屋、茶碗せり、サーカス 道は通れぬ程の人出で賑わった。

 8 月

 お盆

 お盆には庭に砂山を作って、中の池に水をはり砂の山に線香に火をつけて立てると、水に線香の火が映り、見事なお盆まつりを楽しんだ。

 

 


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