西暦 |
元 号 |
事 項 |
1869 |
明治2年 |
6−17版籍奉還。6−23細川紹邦熊本藩知事。7豊後竹田一揆。
10−6「天道覚明論」と題した文章が阿蘇神社拝殿に投げ込まれていた。翌7日大宮司は大巡察古賀十郎へ手渡した。一説によると「天道覚明論」の筆者は横井小楠という。 |
1870 |
明治3 |
5−8細川護久が熊本藩知事となり「肥後の維新」が始まる。7−17「村々小前共江」布告。10古城医学校開校。 |
1871 |
明治4年 |
7−14廃藩置県、熊本港は熊本県となる。7中通村の高宮広衛ら 阿蘇日新社を設立。8−20鎮西鏡台熊本に設置(明治6年119 熊本鎮台となる)。
9−1熊本洋学校開校(明治9年9月廃止)。宮川経輝(宮地村)、市原盛宏(宮地村)、 山部経賢(宇野村)らが学ぶ。
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1872 |
明治5年 |
7−1内牧村に内牧郵便役所設置。11−1阿蘇山鳴震、濁水湧沸し硫黄採り人、数人死亡 12−2天分県で一揆、鎮定に坂梨波野の郷士出動(翌年1-11鎮定)。12−3太陽暦を採用し、この日を明治6年1月1日とする。 |
1873
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明治6年 |
6−2坂梨村北駄原の永井塾あとに坂梨小学校設等6−8阿蘇山噴火。この年宮地村に私立明俊堂設立。坂梨村の天山塾・永井塾廃止。
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1874 |
明治7年 |
2−7阿蘇山噴火。2熊本日新堂竹崎茶蟄の東京行きに中通村高宮広衛・坂梨村園田太邑ら4人が随行。6内牧高森カど県下23カ所に警察屯所を設置。9−6「白川新聞」創刊(明治9年3−20「熊本新聞」と改称)。12−6宮地郵便役所・ 津留郵便役所(野尻村) 設置。同12日高森郵便役所設置。同16日馬見原郵便役所・北小国郵便役所設置。12明俊堂は宮地小学校となる。 |
1875 |
明治8年 |
2熊本県で地租改正着手明治14年9月完了)。4Il河陽郵便役所設置。 |
1876 |
明治9年 |
1−30花岡山でキリスト教入信の誓い、この熊本バンドに宮地村出身の市原盛宏・宮川経輝参加♂ 7−20熊本県臨時民会設置(8−2まで)。10−24神風連の乱(県令安岡良亮、鎮台司令長官種田政明死亡) |
1877 |
明治10年 |
2−19征討令。熊本城炎上。西南戦争 (2月〜9月)。5−27阿蘇一揆参加者逮捕開始。9−24西郷隆盛城山で自決。10129・30阿蘇一揆参加者に判決。この年秋、園田太邑は坂梨村豆札に培達堂を設立。 |
1878 |
明治11年 |
3坂梨村字平口に坂梨小学校の後身隆成学校が新築落成。8−23 東京の近衛砲兵大隊兵士200余人が反乱、この竹橋事件に西宮地村山部善三郎の三男七蔵も参加。原因は西南戦争の論功行賞の不公平にあったという。10−15東京深川越中島の刑場で53人が銃殺、山部七蔵も処刑された (享年24歳7カ月)。墓は一の宮町塩塚墓地 (墓標は自然石)。10−21高宮貞松が姦智(こうしん)学舎宮地村に設立 (同15年11−28 廃止)。 |
1879 |
明治12年 |
1−20熊本県は天区小区を廃止し郡区制を実施、内牧支庁は廃止となり内牧村に阿蘇郡役所設置、郡長は小橋元雄。5−16南小国村に南小国郵便局設置。この年、農商務省勧農局は高森町で煙草の試験栽培。 |
1881 |
明治14年 |
3−16黒川村に坊中郵便局、白水村に吉田郵便局を設置。9−1熊本で紫漢会結成。9熊本県の地租改正完了。 |
1882 |
明治15年 |
2−11済々黌開校。6−16黒川洪水、内牧村など水害。6ごろ阿蘇親睦会結成。8−7 「紫瞑新報」 創刊 (明治21年10−9 「九州日日新聞」 と改題)。 |
1884 |
明治17年 |
3−21阿蘇山大に鳴動、炎焔天を衝き黒煙山を覆う (4−30まで続く)。4−11阿蘇豊三郎が宮地村に済々黌をモデルとして含章黌設立。4−13東風強く熊本市にも降霧の災害。6−6阿蘇山噴火。6−12阿蘇山鳴動、硫煙噴出。10−23 宮地裁判所開庁 (明治23年3月宮地区裁判所と改称)。12−21内牧警察署が宮地村に移転し宮地警察署設置、坂梨分署は廃止。 |
1885 |
明治18年 |
2−25宮地村に熊本県監獄宮地支署開考4ごろ徳富蘇峰の大江義塾に学んだ毛利次宗が内牧村に毛利塾を開塾。8−8「郵便報知新聞」は阿蘇地方の飢えの惨状について報道。9−5・7・13〜14阿蘇地方は強風により被害、田833町余、畑1597町余、家屋5軒全壊8軒破喝11−23坂梨村で豊後街道開通式挙行。 |
1886 |
明治19年 |
8−3阿蘇山鳴動。12阿蘇郡役所は内牧村から宮地村に移転。 |
1887 |
明治20年 |
1−22森有礼文部大臣坂梨小学校を視察。2−28宮地村の含章黌廃止。2皇典講究分所熊本区から宮地村に移転。熊本国庫金出納所宮地出納支所設置。 5高等阿蘇小学校が宮地村の旧西宮小学校を仮教室として開校(明治21年3月第l回卒業生10人)、南郷と小国に支校設置。5阿蘇郡の各地で農談会開催。9−別高等阿蘇小学校は宮地村九門に新築移転。10坂梨村の隆成校は同村桜町に移転し尋常梨陽小学校と改称(明治25年坂梨尋常小学校と改称)。12−26阿蘇教育会は県の認可を受ける。
この年ごろから坂梨村の菅家では小作米品評会を開く。 |
1888 |
明治21年 |
1坂梨新市原惟房小作米品評会開く。2高等阿蘇小学校は高等阿蘇中部小学校と改称(13カ町村学校組合の経営)、南北支校は独立。3−18阿蘇郡中部懇親会宮地村極楽寺で開催、紫漢学会津田静一らを招く、100余人参集。8大林区署(営林署)宮地派出所設置。9−16阿蘇郡葉藍品評会宮地村人民集会所で開会。この年、宮司阿蘇惟孝の首唱で阿蘇神社保存会設立。 |
1889 |
明治22年 |
1−10国権党結成。2−11大日本帝国憲法発布。宮地村で紀元節奉祝の式典、1000余人出席。2−17外牧村で紫漢学会天懇親会。400人出席。 2坂梨村菅葺は三種種子、漆苗、牧草種を郡役所に注文。3−21国権党政談演説会坂梨村で開催、熊谷直亮「旧政党と新政党」、吉田猪五郎「日本の国性」、渡辺敬昌「正理の在る所に従ひ運動す」、野田正「国権の拡張、民力の必要」、浅山知定「国権党と改進党の区別を諭す」。4−1市町村制の施行、宮地村、坂梨村、古城村、中通村が発足。4宮地村の有志が紙と寒天を製造し輸出を計画。6−30坂梨、内牧、高森、菅尾など7カ町村の壮年有志は白水村吉田新町で天懇親会。7−21阿蘇郡同志大懇親会宮地村で開催、5700余人出席。8−14坂梨村政談演説会、300余人出席。この日から条約改正問題を中心とした政談演説会が各地に開催される。15日宮地村(400余人)、16日黒川村、17日坊中村、19日坊中村大字湯浦 (100余人)、20日永水村永草(150余人)。11−3県会議員選挙に勝利した阿蘇郡の中正主義者(国権党系)は阿蘇神社で大懇親会、5000人出席。12−31宮地村の戸数721戸、現住人口3295人。坂梨村の戸数386戸、現住人口1916人。古城村の戸数429戸、現住人口2266人。中通村の戸数246戸、現住人口1340人。 |
1890 |
明治23年 |
4−7 阿蘇神社は国幣中社から官幣中社に昇格。6宮地村に電信分局設置。7−1衆議院議員選挙(第1回総選挙)、阿蘇郡の投票結果、古荘嘉門(国権)358票、紫藤寛治(国権)358票、広田尚(改進)121票、園田太邑(改進)ト18雫9−15「九州日日新聞」は「宮地村は郡内の首府とも称すべき所」とし料理屋飲食店が次第に増え、曖昧なる酌婦を置いていると報道。 |
1891 |
明治24年 |
7−1九州鉄道、高瀬−熊本間の開通式。熊本電燈株式会社開業。 |
1892 |
明治25年 |
4−9宮地村で大火、全焼鈍戸、厩18棟、倉3棟など80棟。9高等阿蘇中部小学校は小学校令改正により阿蘇中部高等小学校と改称(大正11年3−31学校組合〈宮地、坂梨、古城、中通、黒川の1町4カ村)を解散し各尋常小学校に高等科を併設)。11−28宮地村字九門で競梨会開会、安田郡長は深耕の必要と今後毎年開催すると演説。 |
1893 |
明治26年 |
1阿蘇郡農事試験場、宮地村に設置決定。5−2小国銀行設立(資本金1万円、6−26開業)。8−29県は東本県土木規則」を公布、豊後往還、小国往還は県道。11白水高森聯合産馬組合発足。 |
1894 |
明治27年 |
2阿蘇郡白水村大字両併及高森町産馬改良組合認可。3I6阿蘇山鳴動。3−13阿蘇山鳴動し黒煙噴出し覆を降らす。4県道小国往還の工事着工。5124阿蘇山噴火、降灰のため畜桑の被害大q6・・nJ3阿蘇山大鳴動、降灰。00−1日本は靖国に宣戦布告(日清戦争)∂只∵−8阿蘇地方地震、余震は31日まで続くT21回〉。8−11古城村国造神社で敵国降伏祈念祭。9I4阿蘇山鳴動。10阿蘇郡第1回牝馬品評会、吉田新町で開く。11−30阿蘇地方強震。この年、日清戦争勃発により阿蘇中部義勇同盟会結成(翌年5−22解散 |
1895 |
明治28年 |
2−2「九州日日新聞」は宮地村には曖昧的料理屋が繁殖しているので先ごろ警察の取り締まりが行われたと報道。3−鍋宮地電信局事務開始。4−17下関条約調印。4−お三国干渉。8−27阿蘇山大爆発、家屋倒壊400軒、石垣崩壊など311カ所の被害。10−8朝鮮京城(ソウル)で閏妃事件、内牧村出身松村辰善参加。10南小国村農会設立。この年山西・錦野村産馬組合、野尻村産牛馬組合発足。 |
1896 |
明治29年 |
1IlO阿蘇郡農会発足、4町22カ村、事務所は宮地村。5小国山林会設立。この年坂梨村で村農会設立。阿蘇収税薯が阿蘇税務署と改称(大蔵省直轄)。大日本武徳会熊本支部宮地委員部を宮地警察署内に設置(明治41年7月、宮地分会となる)。 |
1897 |
明治30年 |
2熊本種馬所支所を高森町に設立。2下旬阿蘇山噴火、鳴動降灰。311馬見原局、電信事務開始。11−9南郷銀行高森町に設置(資本金2万5000円、翌年1−10開業)。この年古城村で村農会設立、同村消防組が発足。 |
1898 |
明治31年 |
3−22馬見原銀行、馬見原町に設立 (資本金2万2000円、7−1開業)。4−13肥後米輸出同業組合設立。6内牧村字竹林で温泉湧出。この年坂梨、古城、波野、産山4カ村の蘇東畜産組合発足。内牧、山田、尾ケ石、永水、黒川5カ村の畜産組合発足。熊本地方専売局高森出張所開設。 |
1899 |
明治32年 |
5−17小国往還開通式、南小国村市原で開催、出席者200余人、 工費10万900円余。7−10第九銀行宮地支店開設。8I22阿蘇惟興が宮地村に含章義塾開設。8宮地村に熊本県第二農業学校設立(現・阿蘇清峰高校)。この年中通村で村農会設立。 |
1900 |
明治33年 |
7−6この目から豪雨、16日熊本県下大水害。8−1宮地町郵便局、宮地村字新道に設置。8阿蘇郡産牛馬組合認可。10宮地村の第二農業学校は熊本県阿蘇農業学校と改称。この年水害後虫害が発生し大凶作。 |
1901 |
明治34年 |
1−1宮地村は町制を施行し宮地町となる。2−16山西村小森に山西郵便局設置。3内牧・尾ケ石・永水三力村の阿蘇西部在郷軍人会発足。5−20熊本県阿蘇農業学校は熊本県立阿蘇農業学校となる。9−26高森町で大火 (120戸焼失)。この年古城村農会は苗床品評会開催。坂梨村農会は立毛品評会開催。阿蘇郡立靂害実験蚕業伝習所設立。 |
1902 |
明治35年 |
1−13県は 「郡市町村是調査規定」 を公布。3阿蘇郡洋馬繁養所坂梨村に設置。5坂梨村は村是調査開始。8−10第7回総選挙、阿蘇郡の結果、山田珠一(国権) 707、松山守善 (政友) 240。有権者 (25歳以上の男子、直接国税10円以上納入者)、坂梨33人、宮地65人、古城86人、中通34人。8神山エツは宮地町に宮地裁縫女学校設立。この年、坂梨村、永水村、長陽村の村是完成。北小国村宮原に養蚕伝習所設立。 |
1903 |
明治36年 |
5中通村の村是調査完了。山田村で耕地整理着工。8古城村の村是調査完了。9−26阿蘇北部同志大会、佐々友房代議士を迎えて宮地町で開催。約1200人参会。9阿蘇郡の郡会議員選挙結果、国権党20人、中立3人、政友会1人。 この年、郡下各町村の村是完成。 |
1904 |
明治37年 |
2110日本はロシアに宣戦布告(日露戦争)。3125柏村に相郵便局設置。4尾ケ石村で耕地整理着工。5阿蘇郡是、調査完了。10宮地町で日露戦争の幻燈および活動写真興行。11−1八代郡鏡町に鏡米券倉庫開業(県下最初の米券倉庫)。11阿蘇地主会主催、小作人製俵伝習会を宮地町で開催。 |
1905 |
明治38年 |
3−21宮地町で奉天会戦祝勝会、23日坂梨村でも開催。3−22県は下戻原野整理規定を公布。3南小国村赤馬場で耕地整理着工。9−5ポーツマス条約調印。この年小国地方に正条植と籾種子塩水選普及。阿蘇郡産牛馬組合は搾場取締規定を定めた。 |
1906 |
明治39年 |
2−1「九州実業新聞」創刊(明治43年8-1「九州新聞」と改題)。4−1内牧村は町制施行。6−7阿蘇山爆発、新火口出現。 |
1907 |
明治40年 |
3阿蘇農業学校第二代校長に百瀬葉千幼が就任。11−24国権党阿蘇支部結成。12−12阿蘇山噴火、降灰。12−21内牧郵便局で電報電話事務開始。この年、阿蘇郡で田植の正条植を強制的に施行。 |
1908 |
明治41年 |
1−17阿蘇山噴火、鳴動降灰。3−5県道馬見原往還の宮地高森間にある日の尾峠を県吏員が踏査開始。3−9肥後米券倉庫株式会社、肥後米券倉庫組合設立。3中通村・永水村で耕地整理着工。3阿蘇郡産牛馬組合は牛馬籍制定規程を定め、5月から馬券証を発行。5内牧町で耕地整理着工。5阿蘇郡医師会設立。9−7
熊本軽便鉄道、熊本−大津間開通。11久木野村市原ツギが水稲福神を選出。 |
1909 |
明治42年 |
2−28宮地町地方で地震。6−17宮地町地方で地震、18日も地震。 |
1910 |
明治43年 |
3−15古城村愛国婦人会、第一回総会開催。3坂梨青年会発足。3南小国村信用組合設立。4−3阿蘇山第3火口噴火。4−5第4火口も活動を始め噴煙頗る盛ん。5−15国権党阿蘇中部同志懇親会開催、出席者 宮地23人、坂梨16、古城13、中通21、尾ケ石3、永水4、黒川32、内牧5、山田5。5−23国権党中通村懇親会300余人出席。5小国製糸工場設立。8−7尾ケ石村で竜巻発生 |
1911 |
明治44年 |
2−15宮地町外五力村連合の在郷軍人会分会発会。4−16草部郵便局設置。4−22宮地町地方地震。4−30黒川水力発電所起工式 (大正3年3−13発電開始)。5−1県営による米穀検査開始。5−23阿蘇郡地主会、宮地町郡会議場で開会、地主会を小作人奨励会と改称し各町村は7月15日までに組織することを決めた。 8−22宮地町地方に地震。8−30久木野村米券倉庫設立認可。9−1国権党政談演説会宮地町極楽寺で開催、聴衆数百人。11−3帝国在郷軍人会阿蘇郡聯合分会発会。12−7宮地町字出口の有志は報徳会を組織、200余人参会。9日には同町古神で開催170余人参会。12−28鉄道会議は豊肥線敷設を可決。 |
1912 |
明治45年 |
1阿蘇郡産牛馬組合が牛馬改良5カ年計画立案。5宮地線(熊本宮地間の鉄道)の実測着手、(大正3年6月熊本天津間竣工、同5年11月天津立野間竣工、同7年1月立野宮地間竣工)。7−13熊本県下大洪水。 |
1913 |
大正2年 |
7北小国森林測候所設置。10−14阿蘇貯金株式会社、宮地町に設立 (資本金1万1000円、同社は大正4年10月阿蘇貯金無尽株式会社と商号変更)。この年、宮地町坂梨村の入会地90余町歩を保安林に編入。 |
1917 |
大正6年 |
6−12肥後米券倉庫株式会社,解散決定。 |
1918 |
大正7年 |
7-30以降各地に米騒動おこる。9−4万田炭坑で坑夫暴暴動軍隊出動す。 |
1921 |
大正10年 |
4一県立第二高等女学校設立.県立高女,第一高等女学校と改称。
11−人力車夫の救済問題おこる。 |
1924 |
大正13年 |
8−1熊本市営電車開通。 9−3郡築争議(第一次)解決。 |
1925 |
大正14年 |
1−31熊本薬学専門学校,文部省直轄となる。 |
1926 |
昭和 1年 |
3一熊本市電,ストライキおこる。 7−7郡役所を廃止。
天草に支庁をおく。この年,労働農民党熊本県支部結成,郡築争議再発。 |
1927 |
昭和 2年 |
11−23熊本市営乗合自動車,パス17台で営業開始。 |
1931 |
昭和 6年 |
12−21鐘紡熊本工場の女エ50名余ボーナス激減に反対 し,ストライキ。
12−26八代郡宮原郵便局月ストライキ。 |
1932 |
昭和 7年 |
1−歩兵第13連隊内から,新入兵の家庭へ赤化運動の文書が送され,当局の神経を尖らせる。3−3−12五高生1・2
年生総勢800名,竜南会の処分に反対してストライキ。 |
1933 |
昭和8年 |
2一17県下共産党・全協・全農全会派・kOPF・消費組合・
学生など,左翼組織140名余を「斉検挙(うち起訴24名) |
1936 |
昭和11年 |
12−5県下人民戦線を一斉検挙。熊本・人吉グループなど43名 |
1942 |
昭和17年 |
4−1民政党糸九州日日新聞と政友会系九州新聞,合流し,熊日日新開を創刊。 |
1944 |
昭和19年 |
8−31戦況の切迫にともない,沖縄県の疎開児童2,119人,教 師とともに来県。 |
1945 |
昭和20年 |
7−1熊本市はか大空襲。 7−30熊本市戦災者の大阿蘇開拓
団,阿蘇郡波野村に入植。8−7宇土町空襲死者21人,焼失 家屋301戸。 |
1946 |
昭和21年 |
4一10戟後初めての総選挙。自由党4名,進歩党2名,社会 党1名,協同民主党2名,国民党1名当選。7一県下農民代表
者会議を開き,熊本地方農民協議会の結成を決議。 |
1947 |
昭和22年 |
4−5知事,市町村長選挙。第一回公選知事に桜井三郎当選。
7−19知事,臨時県会で資源開発工業化産業4ヵ年計画を説明。 |
1948 |
昭和23年 |
3−6熊本市はか4市と人口5,000人以上の町に自治体警察を設ける. |
1949 |
昭和24年 |
4一熊本医大・五高・工専・薬専・師範・青年師範 合併し, 熊本大学となる。
熊本県立女子大学設立。 |
1951 |
昭和26年 |
2−8熊本市鶴屋百貨店設立 4−30桜井 三郎 知事に再選される。
5−1 九州配電株式会社・日本発送電株式会社、合併し、九州電力株式会社となる。 |
1952 |
昭和27年 |
4−12熊本女子短期大学開校。6−1大洋百貨店設立。 |
1953 |
昭和28年 |
2−1NHKテレビ放送開始。 8−26大水害の被害.830億円に達す。
この年,水俣病発生,33年までに患者69人に達す。 |
1954 |
昭和29年 |
8−6市房ダム着工. 7−1国警と自警が一本化した県警察発 足。 |
1955 |
昭和30年 |
2−11県知事選挙で桜井三郎,三選される。 |
1956 |
昭和31年 |
7−19雲仙国立公園・天草国定公園,合併し,雲仙天草国立公園となる。 |
1957 |
昭和32年 |
7−26熊本市井芹・坪井川両水系氾濫金峰山周辺で山津波、死者171人家屋の全半壊287戸,流失76戸。9−30阿蘇町が阿蘇山噴火口一帯に阿蘇町立自然公園を設置。10−5
阿蘇有料登山道路開通。 |
1958 |
昭和33年 |
2−22NHk【熊本テレビ局開局。8−24阿蘇山爆発死亡2人, 負傷28人。 |
1959 |
昭和34年 |
11−2漁業補償をめぐり,水俣病紛争激化。
12−11三池炭 坑指名解雇通告により争議おこり35年11月解決,12月就労。
この年,知事公選,桜井三郎四選ならず,寺本広作当選。 |
1960 |
昭和35年 |
阿蘇郡小国町の下筌ダム建設の反対運動激化。
8−22熊本 城落成。 |
1961 |
昭和36年 |
4−13県下に小児マヒ大流行。 ワクチンの定期予防接種実施になる。
7−10有明製鉄,玉名郡長洲町に進出決定。 |
1962 |
昭和37年 |
7−8天草架橋起工。 8−8天草西海岸道路開通。 |
1963 |
昭和38年 |
1−14水俣争議解決。
この年,有明・不知火地区新座都市指定決定。 |
1964 |
昭和39年 |
8−23下笠ダム蜂の巣城強制収用。10−4九州横断道路完成。 |
1965 |
昭和40年 |
7−3人吉水害。 7一新県庁舎着工。10−31阿蘇大爆発。
この年,有明製鉄の進出棚上げ。 |
1966 |
昭和41年 |
7一高遊原空港間題の反対運動発生。9−24天草五橋開通。 |
1967 |
昭和42年 |
8−8新県庁舎落成。 |
1968 |
昭和43年 |
2−21えびの・人吉地方に大地震 6一10九州縦貫道起工式。
9−27水俣病公害と認定される。 101−17新空港(高遊原) 起工式。 |
1969 |
昭和44年 |
1−熊大紛争はじまる。8−20 200日ぶりに授業再会
10−15水俣病裁判第1回口頭弁論ほじまる。 |
1970 |
昭和45年 |
2−市電路線廃止(赤字を理由)。5−16 熊本県教組自主製作した映両「あつい壁」東京日比谷アート・シアターで上映。
5−23大阪市日立造船,玉名郡長洲町進出決定。
8−19県 公害対策木部発足。10ー7阿蘇郡小国町故室原知事氏遺
族 九地建と和解。13年ぶりダム反対の蜂巣城を開け渡す。 |
1971 |
昭和46年 |
1−23宮崎竜介(滔天の長男,日本社会党設立者の一人)死去。
1−1国立熊本電波高校が熊本電波高等に昇格。
1−26九州不ニサッシ工場,長洲町に完成す。11−20熊大医学部筒井純教授,水俣病の神経眼科所見を学会に発表,診断上大いに有効。 |
1972 |
昭和47年 |
1−14 岩田屋・伊勢丹,九州産交と提携して大型百貨店を熊本市に申請 8−14 熊本商工会議所の意見として,熊本市
に百貨店の新増設は認めぬ。
10−2県は三井金属に荒尾市北部地区カドミユーム汚染対策を申入れる。
10−18東京チッソ本社座込みの自主交渉派患者川本輝夫を傷害容疑で取調ベる。 11−23熊本県果実連は三角港より県展蜜柑150トソを韓国へ初輸出。
12−17 十条製紙八代工場の廃棄物処 理に関し,3ケ月振りで解決。 |
1973 |
昭和48年 |
12−27川本輝夫,東京地検より起訴さる。
5−26福岡鉱山監督局ほ荒尾のカドミユーム汚染は三井金属が発生源と荒尾市議会へ回答。 6−11弟3水俣病の汚染は「日本合成」と武内忠男熊大教授が医学的に実証。
8−7花岡山上の奉教誓詞集団(熊本バンド)の生証人福田令寿翁100歳で死亡。 8−27水俣湾の再調査の結果 全域に高濃度の
水銀汚染あるを県会において確認。 |