加藤楸邨
ホーム • 上へ 

 


 

火口原の人々の生活

 ・阿蘇行

加藤楸邨

                         

 私は現に呼吸をしている感じの活火山につよく惹かれる。阿蘇はその意味で最も魅力あるものの一つだ。外輪山が大きく周囲をとりまいて、その中に中央火口丘を持つところは箱根と共に二重式火山と呼ばれる形だというが、その活力の逞しさからいうと箱根は阿蘇に較ぶべくもない。最近ふと思い立って阿蘇にでかけてみた。これは東京のあわただしい生活から少しはなれて、あの逞しい火山の活力に直接に触れてみたくなったためだが、こういう気持を理解してくれた友人が私と家内を自分の車で頂上まで案内してくれた。

 私はよく「おくのほそ道」を尋ねることがあるが、同じ所を何度も歩きまわるのがつねである。これは同じ所がいつも同じだとは限らないからだ。自然というものはいつも同じ顔を見せるとはかぎらない。

         

触れるたびに新しい相貌(そうばう)を呈しているのが、本当の自然というものの在り方らしい。季節がちがうともちろん非常にかわった顔を見せることになるが、同じ季節でも草花一つがあるのとないのとではまるで阿蘇・北外輪山大観峰(ph.長野良市)

ちがった感触を与えられるものである。

        たいふう

 今度の阿蘇行は台風の襲来下だったので、今までとはまったくちがった印象になった。外輪山のゆるやかな傾斜を登りつめて、急峻な内側に入りこんでいった二十数年前の鮮やかな印象は、今度は茫々(ぼうぼう)

とした濃霧の中では一変してしまった。ときどき霧の切れめがあると、外輪山の目の覚めるような線が一瞬目に迫ってすぐ霧に消え去ってしまう。これは滅多に経験できるものではない。麓のあたりであろう、ときおり栴檀や卯の花を目にすることもあった。

内側に入ってからも思いもかけぬ霧の裂け目に、乳牛らしい重量感のある四角な褐色が動くのを目にした。

「何にも見えなくて本当にすみません」 若い友人は自分の責任のように気の毒がってくれ

る。外輪山を衝き破って噴出した一四〇八メートルの板子岳は猫岳の名を持つというが、その形はもちろん方角さえはっきりしない。頂上近い売店のあたりに休憩するまで殆ど目に入るものがなくて、噴煙をあげている一五二〇メートルの中岳も、最も高い一五九二メートルの高岳もまったく霧の中である。この前登った時覗くことのできた噴火口も昨年の境出で多くの死傷者を出したために、噴火口に近づくことも今は禁止されているのである。売店の隅で山の植物を売っていたので、好きな東洋蘭の小さな一株を買った。もちろんこの山のものではない。どうやら四国の山中から仕入れてきたものらしい。どこであってもよい、これが咲くと霧ばかりの中で、この一株だけを持ちかえったという阿蘇の記憶を呼びさますことにはなろう。

「これが今度の阿蘇のしるしになるから、何にも見えなくてもよいのですよ」と友人に語った。

これは別に負け惜しみでも何でもなかった。霧ばかりの阿蘇の中に、今まで一瞥しただけの栴檀や卯の花、よその山の東洋蘭などが、見えぬ阿蘇に刻々近づく胸のふくれるような期待感を呼び起して二重映しの世界をつくりだす契機になるからである。

                                               

 眼前は霧から雨風とかわっていったが、その奥に私は昭和三十二年の正月近い雪の中で内牧温泉に泊ったときのことを却って鮮明に思いうかべることができた。帰宅してからその頃のメモ帖を繰ってみると、つくりかけた餅鴇の句がかなりその中にある。

     牛の鼻闇に息づくまるめ餅           

 という句がある。これは雪中内牧の町はずれを歩いていたとき、戸外で兎の餅つきの絵にあるような真ん中の細くなった手杵で餅を掩いている一家に招き入れられたときのものである。鳴きあげた一碓の餅をちぎっては丸めたものがまるめ餅で、一家の老人夫婦を中心にしたあたたかい気持が今もこのまるめ餅とともに忘れられない。土間の隅に飼われていた牛の鼻が暗い灯にうかんでいて、ときどきふうっと息を吐いていたところをとらえて詠んでみたものである。牛はもちろん青草のある間は阿蘇谷に放牧されているのであろうが、私が泊った頃は、牛小屋に連れもどされていたのであろう。その牛の鼻が今も鮮やかな息の白さをいきいきと感じさせるのである。

 阿蘇谷と南郷谷は外輪山にかこまれた二つの大きな火口原であるが、私は阿蘇という活火山に惹かれる最も大きな理由は火口原や火山そのものの風景だけではない。風景はもちろん卓抜したものだが、それよりもその火口原に生を寄せる当時約五万と数えられた人々のとりどりの生活が私を引きよせたのであった。当時その阿蘇びとの生活を句に詠んでみようとした跡が、古いメモ帖のあちこちに残っている。

私は心を籠めた句はその時まとめきれないとそのままにしておく。いつかまとめるまでとっておこうというのである。しかしその中に歳月を経てしまう。私にとってはつくりかけの句集がほしいという気がしているくらいだ。この句も句集にはない一つである。


ホーム • 上へ