志賀 重昂
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阿蘇山

志賀 重昂  

 

肥後阿蘇郡の南部熊本市の東十一里阿蘇火山彙(い)中に杵島岳、烏帽子岳海抜一二六八メートル)中岳(海抜一四三二メートル五)、高岳(海抜二九八三メートル九、山梨中の最高点)、根子岳(海抜一四四八メートル六、山集の最東端)これを阿蘇の「五岳」と称す、頼山陽詩あり、                    

「足は阿蘇の腰を(めぐ)り、阿蘇の首(こうべ)を見ず。今朝(こんちようは)雨群れ雲また開く。日は三峰を照らし皴皺(しゅんしゅう)せたり。

一峰尊厳たるは是れ丈人(じようじん)、一峰肩随いて其の右に在り。別に一峰あり鋸牙(きょが)に似たり、其の左に竦立(しょうりつ)積立して雄秀を争う。燦然として我の快観を為すを要む、唯恨むらくは一笑して轍(すなわ)ち背走するを。岐路高低 頻りに回看す、鬟髻(かんけい)出没して猶お後に在するがごとし。」

                                                                                                                        熊本市より人力車を駆り大分豊後)街道にたより、白川の右岸に沿いて平田の間を東東北行し、大津町にいたる、頼山陽のいわゆる「大道平平砥も如かず。熊城東に去れば総て青蕪。老杉夾路他樹無し。欠処時時阿蘇を見る」とはこの間の景物を味じて余蘊(ようん)なきもの、大津町より道路二条に別る、すなわち (一)いよいよ東東北行し黒川に沿い、阿蘇山の北麓に出でて登るもの、(二)東行して白川に沿い、阿蘇山の南麓に出でて登るものこれなり、試みに(一)の道路を取らんか、大津町より東東北行し、緩慢なる峠を登り最高点(二重嶺に達するや、図らざりき人は眼前に絶なる懸崖をみみずからその上に立ちいることを、これ阿蘇火山の外輪に達したるがゆえのみ、すなわち屈曲線的の道路を経てこの懸崖(高さおよそ二百メートル)を下り、阿蘇火口の盆地に入り、ようやく山の北麓坊中村に出で、ここより山彙中の中岳に登る、登りて四望せんか、右に火山集中の杵島岳、烏帽子岳長揖し来り、左に高岳、根子岳を仰望し、火口よりは硫気水蒸気天を衝きて直上し、真に雄大を極尽す、しかも山上の最奇観は阿蘇の旧火口を双眸の中に収むる所にあり、すなわち旧火口の外輪は北は長倉嶺一帯の山岳をもって東は豊後境上の連山をもって、南は大矢山、冠岳をもって、西は俵山二重嶺をもって、これを限り、黒川の一本外輪の北より西をめぐり、白川の上流輪の東より南に限り今の阿蘇山は実に新火口として輪の中央に聳立するもの、輪の直径七里、中に一町十四村あり、無慮四百の生霊を衣食せしむ、このごとき火口の絶大なるもの実に全世界第一と称す、それより杵島岳頂下の湯谷に下り、泥熱湯の噴出泉をみ、南下して垂玉、地獄の二温泉場を経、いよいよ南下し、ついに(二)の道路に出で、熊本市に返らんとせば西行して栃木新湯に浴し、白川に沿い、白川、黒川の合流するところを経、数鹿流ノ滝、白糸ノ滝を遊覧し、立野峠を下り、白川に沿いて西下しついに市に返り得、画師、文人、風懐の高士たるものかならず登臨せん哉。


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