北田 正三
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阿蘇山

 

北田正三

大阿蘇の五岳、山また山、峰また峰、岳は永遠から永遠に九州の中央に生ける神山として火を噴きながら聾えたつ。

岳の上は青い大空なれども水平の空気の層が赤銅色に光る最高峯、高岳に半透明の被衣をかけて、その中からお化けの様な鷲ケ峯と仙酔峡の渓流とがはっきり輪廓を見せている。さわやかな松の風、野草の囁き、虫の声、宮地駅を今しがた出た汽車が黄熟した麦畑と玉萄黍の青い                                               葉を分けて根子岳の方へあえぎながら上って行くと円くなった密雲が知らぬ間に滝ケ峯、虎ケ峯、松尾谷、姫ケふところなどの岩谷の牢屋から解放されたように沖天に湧き立って行く。

やがて中岳の噴火口から重砲の如き轟音がにぶく反響して来ると涼しい朝時雨が野茅をサラサラと打ち、萩の若芽に玉しつくを作る。また晴れ上ったがすっかりあがったのはではないらしい。しとどにぬれた野草は皆うなだれて入道雲が五岳の峯や嶺のまわり特に根子岳の半分を包んで屯している。然しその間に日射しを受けた櫓尾岳、往生岳、杵島岳などが透き通った香ばしい空気の中を泳いで椅靂に浮いて見える。汽車はカーヴを廻り終った。奇で妙な根子岳の鋭い稜線、豪壮端正な岩峯、桜ケ水あたり和かに裾野、その緑の毛耗の上には赤毛の親牛がぬれた小牛を嘗めながら慈しんでいる。物皆一幅の画である。

西外輪一直線の遥かな空には枇杷色の印象的な雲がぽんやりと浮んで雨にぬれぬいて洗煉された赤裸々な五岳に映えた美しさ、半円形に腕々と連なる外輪山は青い支那綱の裳を引いて、こんな限りなく美しい景観に接した私はたまらなく幸福になる。

大阿蘇の平面的眺望もさる事ながら、然し何と云っても外輪一帯の高原から、又その峠々から遠望する立体的の眺望は阿蘇の誇りで他の追従を許さない。気高い岩の岳嶺が左方に群立して、雲の影のような松林や杉林がのびのびと往生岳や米塚の裾野を斑に彩って美しい。眼も遥か黄八丈縞の大平野は阿蘇谷で乳房にも似た二つの円い丘ニベ塚の聞から湧き出る黒川水源は取り落されたヒスイ玉の如く光り、あちら、こちらの村落を縫うて流れ、この平和な耕野に生気を与えている。

内牧あたり、こんもりと茂った老杉の森、兜岩から的石、二重峠へかけての柔かい半空には、グライ

ダーが悠々と大鳥のように風を切って旋回し、驚くべき近代的な壮快さを呼び覚し、天翔ける若き人々に軍国的の感激を示している。西南役の夢の跡、滝室坂に沿うていくつものトンネルを抜けてしまうと急に闇を裂いて広々とした波野高原が現れる。日は宏大な美しい世界の上に照り輝き、黄色い光線が鮮かな草の葉にゆらゆら流れて岳柳の柔かい影が真青な草原にくっきりと落ちている。汽車を波野駅に捨てて越え行く高原は真珠を散らした如く、南北八里、東西十三里、この波野高原の真只中では猿智恵や策略や、利己的な感情なんか一切ふっ飛んで了う。自分自身が知らず知らずに無明の中に溶け込んで同登慈航、それ程までに阿蘇外輪の大高原では世界が純で又朗かである。

ここから仰ぐ五岳の立体的遠望はまるで模型そのままですばらしい。右手の根子岳は裸の絶壁が逆鉾となって天を刺し、光るむく毛の生えた裾野を曳きながし、その頂上はけだものの爪の如く裂けて、この隠かな空に反抗し気骨稜々、古武士の面影で大気にうそぶき誓え、これに続く高岳は雄大な円錐形「五岳の盟主は俺だぞ」と云わぬばかりに泰然自若、これも裸の横綱姿、次の中岳は巣爛濠々、火を境くその凄さは、東亜民族音数の兆を示して戦う青年日本の典型だ。往生、杵島、檎尾は高潔無類、超然とすまし、柔かい裾野を曳いて温雅な君子の姿で並列している。この太く、強く、鋭く、温かい山岳線の息吹き、これを綜合的に見るならば板子岳は頭と鼻、胸を張る高岳、臍のあたりより煙を吐く中岳、往生、杵島の双峯は両膝を曲げて、まことに一大巨人の浬欒像を形作り、くしくも世界一の大阿蘇火山 の象徴的美観と山岳美をなして鎮国山の貰録を示す。北の彼方峻麗無比な九重の連峯、はるばる遠き国境、豊後路から規則正しい熔岩流の角度で出来た幾千幾万とも数え切れぬ青い青い丘陵の大波小波が及び上りに押しょせて全く大海原の壮観波野、とはよくぞ名づけたものである。峯ノ宿、鬼ケ城、地図にもない淋しい部落がかすかに望まれ耳をすますと鶏の声まで聞こえそうに静かである。

海抜二千七百余尺、この九州中央、波野高原は大野川の源流で、端辺八里と言われる西北、菊地川源流と南郷大矢原緑川源流と共に大阿蘇外輪のすばらしい無樹大草原の壮観をぶちまけている。・ぉぉらかな五つの岳と魅力を持つこの無明赤裸の高原とは不可分のもので、何人もこの立体的美観を眺めずして、文この不可思議な自然郷の囁きを開かずして、阿蘇を語る資格はないと断言する。


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