徳富 蘇峰
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小説「阿蘇の煙」     大 江  逸

 大江逸は徳富蘇峰で、一八六三年−一九五七年。 ジャーナリストで本名は猪一郎。熊本県生(水俣 の人)蘆花の兄。一八八六年「将来之日本」で文 名をあげ、翌年民友社を創立。「国民之友」 「国 民新開」を創刊。日清戦争後は国家主義に転じた。 のち「皇道日本之世界」 「興亜之大戦」などを著 わし、大日本言論報国会会長につくなど盛んに文 章報国を唱えた。戦後公職追放。主著「近世日本 国民史」 (アポロ百科、事典)  蘇峰といえば新聞記者、政治経済の評論家とい ったことが頭に浮んでも、文学者というのは一寸縁 遠い感じである。  しかし日本の近代文学の源流を探ぐるとき、文 学者蘇峰が意外と大きな存在として認識されてく るのである。  明治十九年、二十四才で上京した彼は、翌二十 年、民友社を創立し「国民の友」を発行する。 「 国民の友」の創刊の辞には「我邦政治、社会、経 済及文学上の現象を論評し併せて泰西諸国の現象 に及ぽすものなり」とあり、政治、社会、経済へ と並んで文学という言葉もちゃんとあることを見 落してほならない。 (中略)  蘇峰彼自身の創作はどうか、と見てくると蘇峰 自伝などにもあるように漢詩はかなり多くあるが、 小説とか近代詩とかになると殆んど見当らないの ではなかろうか。ところが、明治二十二年六月の 「国民の友」に彼の創作が一っ出ているのである。 一見、単なる記行文に見えるが実はちやんと組み 立てられ、虚構をもつた立派な創作である。「阿 蘇の煙」がそれである。大江逸は蘇峰の別号。                                   (中村青史)   

  阿蘇の煙  (各章)

    故 郷   同行四人  天然と人  半日の詩人  十年前の余

  煙波千里   端  書   連山の波濤  坂  梨   満眸春色  薄  暮     

 五日竹田を発す。肥人の語に曰く、大坂に坂なくも坂 梨(無)に坂あり、坂梨峠を下れば一望平原なり、是れ 所謂る阿蘇谷とす、阿蘇山の山脈は、阿蘇谷を中分して 二となす、其の南にあるを南郷谷と云い、其の北にある を宮地谷と云ふ、余が経過したる所のものは此宮地谷な り、平原窮って嶺となる、之れを立野嶺と為す。  

 <証> 大分から阿蘇を経て熊本への部分については、明治十七年の夏大江義塾の塾長であつた蘇峰は、塾生数名と鹿児島の青年数名と共に阿蘇山の外輪山を超えて別府経由土佐へ赴いているが、その時の記憶で描写しているのではないかと思われる。

 


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