詩と短歌と俳句
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阿蘇は文学の山

詩と短歌と俳句・

昭和二十六年のことであった。英国文化使節として九州各地を巡回講演した詩人G・

S・フレーザーは鹿児島の桜島を訪れて、次のような一篇の散文詩をつくった。

垂れさがる雲の下の峨々たる峰。

地気は漂い浮雲にまじらんとする。

密林の枝垂れる樹葉のごとく

この岩の臥床に眠る野獣を包む。

彼の名は猛火、飢えて一人ひそむ。

その固き洞窟の壁は怒れる空に伸びんとすれど

その望み火口の横線に無残に切り取られては全き円すいをなす。

絵の如く今は静かなれど、

この恐ろしき斜面はこの獣神が大地と家々をのむを見たり。

己が怒りに酔いしれ彼うたげするとき、その良き舌は人間の希望をのみ尽くさんとす。

されどこの年老いたる神は人を恐れしむること能わず。

村人は再び建設にと立ちもどりぬ。

                                 (河原畑正行氏訳)


 桜島でその爆発のあとの無残さと、その無残な災害を被りながら復旧と建設にいそしむ日本人の勤 勉に感動した一篇である。そのフレーザーが、その足で二月十八日、熊本にきて阿蘇山の中岳に登っ ている。山肌は雪が柔かに積んでいた。山頂に立ち、阿蘇五岳と外輪山の偉容、また去来する白雲と、 濛々と渦巻く噴煙の中の火口に、フレーザーは、すばらしいを連発し、しばらくただずんで、

  あらわの巌と柔かな雪

  冷たい風と流るる雲

  きらめくは陽の光

と即興詩をつくってみたが、かたわらのものに感想を求められて、彼は、英国のバンヨンが書いた

「天路歴程」に出てくる地獄を思い出した、といい、感激の瞳を見張りながら、阿蘇の偉大さと、すばらしさ。変化に富んだ山容と人々、牛、馬、草木、あらわなる岩肌、愛すべき雪に包まれた頂、そして最後に気味わるい硫黄の番を噴出する火口を見て、私はただ驚かされるばかりだった。この自然のすばらしさこそは、人間の言葉の芸術の手には負えないものだ。 と嘆息したという。そしてついに阿蘇の詩はできなかった。

野田宇太郎の詩

しかし日本の詩人たちは、阿蘇にのぼり、その感動にたえてすぐれた詩や歌をのこしている。この書のはじめにあげた三好達治の 「艸千里」や中村憲吉の短歌などのほかにそのいくつかをならべてみよう。

 その若き日に阿蘇に登り、多感繊細な詩心にふれて抒情的な詩をつくった野田宇太郎は年をへて再

び阿蘇に登り、さらにふかい感動につつまれている。

色褪せた土のしたに

埋もれてゐる火が

ひとところから叫びをあげ

みもよもなく

吐きだすもののした

観測所の低いパルコンに

りんどうの花に

私の肩に……白く

ふりそそぐものは哀れな灰だった

裂けてゐる岩を跨ぎ

あふれでる真清水の

ほのかな熱をかなしみながら

手と顔を洗った

 

着なれたマントのやうに

麓でたそがれが待ってゐた

草原の波立つ襞が

したしい死の夢を重ね

繋がれた自由のやうに

一頭の馬がうなだれていた


  阿蘇にて   2

幾千年の夜をのがれて

女神は山かげから巨きな頭をあらはす

顔もなく音響もなく

光りのなかに揺蕩ひながら

やがて石膏像のやうな全身を浮かばせる

とほく雲往きはげしい空に

腕をひろげて銀にかがやく

高い頂きに爪立って

足を縮めてみる

身を悶えてみる

頭を振ってみる

ついに地上を蹴ってみる

だがやっぱり離れ難い

そのまま怒りに崩れるやうに

 風のまにまに

ひろがりながら山から野へ

薄いかげりを流してゆく

山のふもとの村々に

かなしい灰を降らしてゆく

 また昭和四十六年『魚悌詩集』で読売文学賞をとった緒方昇にもいくつかの阿蘇の詩

 がある。さすがに熊本出身だけにそのとらえかたもふかく、大きく、心にふれてくる。

緒方昇の詩

   阿蘇          緒方 昇

地球は生きていた

その証拠に小さなコプが地表にできた

コプはだんだん大きくなり

地底の火をそこから噴きだした

ドロドロの熔岩がながれた

コプの内部はがらんどうになり

それがペシヤンコにつぶれた

つぶれた地表に

またコプができた

また火を噴きだした

さきにつぶれたところは外輪山

そと側はなだらかだが

うち側はオオカミの牙のよう

そこらじゅうに樹木が生え

あたり一面のシダ類は根草となった

春から夏にかけて

とめどなく雨が降った

冬ともなればI−

火を噴く山に雪も積った

雪解けの水は雨水のあとを追い

川となって火口原を貫通した

南側の水は白川

北側の水は黒川

白川は澄み

黒川は濁っていた

白川と黒川は

立野というところで握手をし

外輪山の岩、璧を蹴破り

ひと思いに飛び降りた

原始林のブナの木が

このさまをみていて

思いだしては笑った

あとからあとから

無鉄砲に飛び降りるやつがいて

瀧となった

白川と黒川は

交合(まぐわい)をしずかにながれたが

ねむくなるような肥後平野の真ん中で

はじめて仲よくなった

方方へ水の子をわけてやった

まわりにはアシかと見まごう

イネが生えていた

それらの根ッこにも

いくらかずつはどこしをした

ことに火山灰地の黒土には

吸わせるだけ吸わせてやった

天と地のさだめは

ええい ままよ

たちどまることもできなければ

あとがえりすることもできはしない

間もなく有明海にでた

おッそろしく濁った海だ

身体じゅう泥だらけになった

よごれるだけよごれてしまえば

もはやよごれることはない

ムツゴロウと名乗る両棲動物が

奇態なしぐさでからかいかけたり

シイノフタという小魚が

わきの下をくすぐったりするのに

しかたがない 身をかませた

ふりかえってみると

阿蘇の山ははるかに火を噴いて

煙りが雲のようになびいている

濁った海はたゆたゆと

どこまでもつづいている

家でした子供を追いかけるように

ときとき霾が降ってきた

それはふるさとのたよりでもあった

そして−−

いまは川の性格を完全に喪失した川は

遠くアジア大陸のはうへ

水と空とが一線になり

ゃがてそのあやめもわからなくなる彼方へ

ながれてゆくほかはなかった。

    −−・詩集『天下』より


曾宮一念の阿蘇二題

  

阿蘇を愛し、阿蘇を描きつづけた画家に田崎広助がいるが、曽宮一念もまた阿蘇を愛

し、しばしば熊本にやってきては、阿蘇を描いていた。その曽宮一念が眼をわるくし

て本も読めなくなったというたよりをくれたころ、阿蘇にきて画を描くかたわら、ふ

とつくった短い詩がある。阿蘇二題といって、一つは米塚を、そして他の一つは波野をうたっている。

  こめづか          曽宮一念

 やますその乳房

 その乳くぴのこめづか

めわらべのほととも呼ぶとか

草はむ牛去りし阿蘇に

こめづか いとしき


   波野

すすきなみうつ波野

巣の鳥のごと草にうもれて

落ち日を冩す

雲ならぬ畑に透けて

日はまぶしくもなし

 

蔵原伸二郎「故郷の山」

阿蘇山麓に生れたすぐれた詩人、蔵原伸二郎は、

阿蘇を身近かに感じつつ、ひそか

にふかい畏敬の念を以て次のような詩を書いている。

 蔵原伸二郎

   故郷の山

わが故郷は荒涼たるかな

累々として火山炭のみ

黒く光り

高原の陽は肌寒くして

山間の小駅に人影もなし

 

祖先の墓に参らんと

ひとり

風はやき荒野をゆく

これぞこれ

わが誕生の黒川村か

重なり重なり

波うち怒れる丘陵

 

ああ 黒一点

鳥の低く飛び去るあたり

噴煙たかく

大阿蘇山は

神さぴにけり

              −−詩集『乾いた道』より


谷川雁にも次のような詩がある。

阿蘇

 今では煙突の風ぬきといっしょに廻転している

 神が かつていじくった途方もない土器

 そこにはゆうひのような異族の酒があり

 ドイツ語の読本をしゃべる杉が生え

 いのちをかるめら焼にする火が走っているというのに

 人々のお尻はちっとも熱くなってこないのだ。

                      −−西日本新聞昭和三一年二月一日
 

 この外、草野心平の「阿蘇山」というのは息づまるばかりの四次元総合の大律動をうたいあげてい るし、また伊藤直臣の「阿蘇」、大童春二の「阿蘇変幻」などもなかなかの力作である。

 著名歌人の 詩から短歌にうつるとそれはもう汗牛充棟もただならぬものがある。そこでここには 阿蘇の歌 羅列的になるが代表的なものと思われるものをかかげることにしよう。

                    與謝野寛

 大阿蘇の古きくだけの一角を天に捧げて香の爐とする

 ここにして人の文字なし阿蘇の山ただちに火もて大空に書く

                   與謝野晶子

 砂千里草千里浜阿蘇が嶺の霧は萬里につづくなりけれ

與謝野夫妻の歌碑が阿蘇温泉蘇山郷に建っている。碑石は二つとも石膚が臘のように滑らかな阿蘇

溶岩の阿蘇石で、その正面を彫り下げて大理石をはめこんだもの。

  霧の色ひときは黒しかの空に

  ありて煙るか阿蘇の頂       寛

  うす霧や大観峯によりそひて

 朝がほのさく阿蘇の山荘      晶子

 ここは昭和七年八月、與謝野夫妻が泊まったところ、その時書

いた半折や短冊が幾枚も保存されている。

 碑といえば阿蘇外輪山の一角、大観峯の頂上には吉井勇の、

  大阿蘇の山の煙はおもしろし

  空にのばりて夏雲となる       勇

 という歌碑が建っている。そしてまた、

                    吉井 勇

 君にちかふ阿蘇の煙のたゆるとも万葉集の歌ほろぶとも

 などがある。

                    土屋文明

 霧はれて立つ火口壁の岩の問になはなづさふは噴煙ならむ

                                       

 乳色の硫黄の湖(うみ)は沸きたぎりよりあへる水泡(みなわ)とどまらなくに

                   結城哀草果

 霧はれて日の照りさせば火口湖にしづかに碧きさざ波の見ゆ
 

                   鹿児島寿蔵

 火山みち土はこりせるおどろには牛蝿をりて牛に飛び来る

                   釈 迢空

 つまづきの この石にしもあひけるよ。遠のぼり来て、阿蘇のたむけに

                   尾上柴舟

 地の底ゆとどろき上る白煙面むけがたし人にしあれば

 おのづから起る嵐にうちゆらぎ狂ひめぐらふ火の柱はも

                   若山牧水

 山鳴に馴れては月の白き夜をやすらに眠る肥の国人よ

 阿蘇が嶺の五つのみねにとりどりに雲かかりたり登りつつ見れば

 阿蘇が嶺に白雪降りぬ昨日こそ登り来にしか白雪降りぬ

                    佐々木信綱

 渓の風よなをまじへて吹き吹けば白川の瀬は声むせぶなり
 

 大阿蘇のよな降る谷に親の親もその子の孫も住みつぐらしき

                   太田水穂

 青ぞらの空にも染まず天わたる月にも濡れず荒ららけき山

 ひたもえにもえにぞもえて阿蘇の山ひと木をだにも生ひしめぬかな

                   中島哀浪

 噴煙は風になびけばをろちなす影をひきたり幾山かけて
 

 いにしへの火口のあとか深谷にいくつかの村青く寄り合ふ

                  宗 不早

 草ひとつ生えぬあらねの頂に蝶のゆくへを見て立ちにけり


 閑古どり時の間鳴きて後なかずあら嶺の路をひるふけゆくも
 

 深緑日かげのさせば鵯けりみ冬来たるらし阿蘇の大宮


著名名俳人の 

阿蘇の句

このあたりで例句にうつる。漱石の俳句はすでにかがけたので、 ここには著名俳人の

作を少しずつならべることにする。

三十六妨秋や昔の阿蘇いづこ  青木月斗

狐色に小春の阿蘇や美しき

眠る山に囲まれ阿蘇は火噴く也

外輪山に立つ嶺雲や阿蘇あらぬ  河東碧梧桐

阿蘇の霾昼寝の臍に溜りけり   宮部寸七翁

ここに見る阿蘇の低さや未括るゝ

山鳴に追はれて下る芒かな     吉武月二郎

雪深く阿蘇も外山も眠るかな

刈萱のたへにも白し草泊り      吉岡禅寺洞

噴煙のなぴきかはりぬ秋の暮

枯草の果てに山あり火を吐けり    種田山頭火

さぴしければぞ湯にひたり湯の音を聞く

大阿蘇の根子岳見えず片時雨    赤星水竹居

噴煙の静かなる日や山開   

阿蘇山に登ってみんか鵙の秋     池内たけし 

噴煙のいまこそ高し阿蘇の秋  

 噴煙を仰ぎて枯野ひたに登る     高浜年尾

 草千里枯れて噴煙すぐそこに       〃

 秋風に人ゐて火口歩き居り      中村汀女

 山冷の芭の遠に子を置きし        〃

 火口丘女人飛雪を髪に挿す      山口誓子

 地鳴らずば冬雷天に鳴りいでよ      〃

ことに先頃死んだ野見山朱鳥には阿蘇の句が多い。

 阿蘇の火に飛びこむ火蛾の如く来し  野見山朱鳥

 稲妻に燃え現われて阿蘇に立つ      〃

 雲海に青磁の如き阿蘇煙る        〃

 炎天の火口金輪際を行く         〃

 風花や阿蘇に来し日も帰る日も      〃

 阿蘇吹雪くまも人生れ人死ぬる      〃

など、朱鳥の句集『天馬』には阿蘇に集中したごとく阿蘇の句を随所に見ることができる。

また熊本に住む歌人俳人たちにすぐれた阿蘇の歌や句があるのは、いうまでもないが、ここには紙 数の関係で割愛することにした。

 なお阿蘇に来る俳人たちが大観峰に上るならば、そこに高浜虚子の句碑があるのを見出すことであろう。

  秋晴の大観峰に今来り        虚子


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