4 「阿蘇開拓の神健磐龍命(たけいわたつのみこと)」(蹴裂(けさき)伝説)
むかし、阿蘇谷や南郷谷は外輪山にかこまれた大きな湖でした。
この湖の水を流し出し、人々の住む村や田畑をひらいた神様、健磐龍命のおはなしをしましょう。 命は、神武天皇のおいいつけで、九州の中央部を治めるために、山城の国から、はるばる阿蘇の地にやって来たのです。
外輪山の東のはしから、満々と水をたたえた湖を眺めていた命は、この水を流し出して人々の住む村や田畑をひらくことを考えました。外輪の壁を蹴破ることは出来まいかと、ぐるっと見回し、北西にあたるところにやってきたのです。
「よし、ここを蹴破ってみよう。」
しかし、そこは、山が二重になっていて、いくらけってもぴくともしないのです。現在、二重の峠と呼ばれているところでした。
命は、少し西の方にまわってみました。「ここならよかろうか。」満身の力をこめて蹴りつけました。 湖の壁は大きな地ひびきをたててくずれ落ち、どっと水が流れ出したのです。
あの阿蘇谷.南郷谷いっぱいの水も、みるみるうちに引いていきました。
しかし、途中からばったりと流れがとまってしまったのです。
「これはおかしい。水が動かなくなってしまった。」
命は川上を調べてみました。おどろいたことに、巨大な鯰(なまず)が、川の流れをせきとめていたのです。尾篭(おごもり)の鼻ぐり岩から、住生岳のふもと、下野までのあいだに横たわっていたといいますから阿蘇谷の半分ぐらいに及んでいたことになります。
命は、この鯰を退治しました。鯰が流れついたところを鯰村、といい村人が片づけた鯰は、六つに分けられたため、その部落は六荷−六嘉(ろっか)というようになりました。
また、水の引いていったあとが、引水(ひきみす) 土くれがとび散ったところは(つくれ)津久礼 小石がたくさん流れていったので合志(こうし)、水が流れ出したところは数鹿流(すかる)であり、スキマがアルという意味だともいい、鹿が流されたという意にもとれるのです。阿蘇には、このように神話や伝説にちなんだ地名が多いようです。