8 「速瓶玉命(はやみかたまのみこと)と国造神社(こくぞうじんじゃ)」
ホーム • 上へ 

 


 

8 「速瓶玉命(はやみかたまのみこと)と国造神社(こくぞうじんじゃ)」

 阿蘇神社から、約6キロメートルの所に国造神社という神社があります。

阿蘇神社の北に当たるので、北宮とも呼ばれ、健磐龍命の御子である速瓶玉命を主神としてお妃・雨宮媛命(あまみやひめのみこと)、第二子・高橋神(たかはしのかみ)、第三子・火(日) 宮神(みやのかみ)が祀られています

速瓶玉命は農業の神として、住民から大変親しまれています。

 父である健磐龍命とともに阿蘇の開拓につくされたといい、田に水を引くことや、牛馬の育成に努め、農業を起こしたと伝えられているのです。            

 崇神(すじん)天皇の時、速瓶玉命は、阿蘇国造(あそくにのみやつこ)に任ぜられています。国造というのは、地方の長に当たる職といっていいでしょう。また国造にゆかりの神社の神職をさす言葉でもあります。崇神天皇は、大和での政治の基礎を固められた方とされています。

一国造神社の境内には国指定の天然記念物である「手野のスギ」があります。

 幹の回りが十一メTトル、木の高さ四十八メートル、約千三百年も生きてきた杉の木です0しかし、平成三年九月二十七日、台風十九号に見舞われて、地上十一メートルの所あたりから折れてしまいました。

 町では、この木を守るためにいろいろと手当てをしていますが、何とか生き返って欲しいと祈っている・ところです。その後、この杉から取った穂木が育っていることがわかり、親木のそばに、後継ぎの木としてこの程植えられました。親子ともに神杉として育って欲しいものです。

また、国造神社のすぐそばには、上御倉(かみのおくら)、下御倉(しものおくら)という二つの横穴式古墳があります。大きな切り右で組み立てられており、上御倉古墳の直径は約三十三メートル、

高さ五・三メートルです。中の壁には赤くいろどられた跡がところどころ残っています。

下御倉古墳は直径約三十三メートル、高さは四・五メートルです。

作り方などは上御倉とだいたい同じです。紀元六〇〇年頃にできたものといわれており、この二つの古墳は速瓶玉命と雨宮媛命のお墓だと伝えられています。                       

 この他一の宮町には、ここより南西に当たる所に中通(なかどおり)古墳群があり、十二の古墳が田んぼの中に点在して (ちらばって) います。

 鏡やまがたま、つるぎ、はにわ、どき、などが出てきた古墳などもあり、古いものは、紀元五〇〇年頃出来たものと思われています。 残念なことは、これらの古墳の中でも一番大きなものであった前方後円填 長目塚が河川の改修の際、前方の部分が削り取られてしまったと言うことです。

 全長百十一・五メートルあったものが、改修により五十メートル程無くなってしまいました。改修前に調査された結果、回りを含めると熊本県内では一番大きい前方後円墳だということがわかり、三十五才位の女性と思われる人が葬られていました。その時、鏡や玉類、太刀などが見つかり阿蘇神社に保管されています。


ホーム • 上へ