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1 阿蘇と健磐龍命(たけいわたつのみこと)神武天皇は孫の健磐龍命を九州を治めるために遣わしました。健磐龍命は九州の中心は阿蘇だから阿蘇に本拠を置こうと考え、宮崎に上陸され阿蘇へ進んできました。
先ず その頃阿蘇は湖だったので何とかして水を流しだして広い田畑を作ろうと考え、産山に進んできました。そこで子供が生まれたので産山と地名をつけました。更に外輪沿いに西に進み 二重峠をけって見ましたが 二重だから破れません。そこで立野まで進んで精一杯の力をこめてけりました。 すると音を立てて破れ水はごうごうと流れ出しました。けれども最後になってなかなか水がひかないので上流を調べてみると巨大な鯰が水をさえぎっていた。 健磐龍命はこの鯰を退治したという。流れついた鯰の巨体を運びだすのに6荷あったと言うことから六箇という地名もついた。
また鯰が水の出口を塞がぬように命が鯰の鼻にカズラを通して
又、湖のみずが流れ出した時に滝から数等の鹿が流れたので「数鹿流れ滝」という名がついたと言われています。水が引いた後、長い年月の間に浸食されたり、人々にかいたくされたりして、肥沃な盆地になり、 2 阿蘇国造神社(手野のお宮)手野は阿蘇で一番はやく開けたところで健磐龍命が最初、阿蘇開拓の本拠にした場所です。命が宮地に移った後は子の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)が住んでいました。 速瓶玉命は大和政権の天皇から国造(くにのみやつこ)に任命され阿蘇を治めました。だから命をまつってある手野の神社は国造神社とよばれているのです。 宮川の清流は上の瀬、中の瀬、下の瀬と三つに分れていますが、命が上の瀬で身を清めて彦御子(ひこみこ)を生み、中の瀬で清めて高橋の宮を、そして下の瀬でみそいで火の宮神を生みました。そして後に命自身は国造神社、彦御子は甲佐宮、高橋の宮と火の宮神は小国の両神社の祭神としてそれぞれまつられています。 手野のおん田奈りは七月二十六日です。むかしは四つのみこしがありましたが、成る年の大雨で三つのみこしは流されて鹿漬川の明神淵(みょうじんぶち)に沈んでしまいました。今あるみこしは、その時残った一つだといわれています。 国造神社の境内に天然記念物に指定されている大杉があります。樹今二千年をこす大木で、健磐龍命が植えたものと伝えられています。木のまわりは大人が両手をひろげて八人で一周するといわれていましたが 平成九年九月の台風十九号で倒れてしまいました。 後の株跡が大切に保存されています。 3 矢村社(やむらしゃ)阿蘇神社の北方2,300メートルのところに小さな矢村社というお宮があります。この矢村社は、今まで手野にあった健磐龍命の本拠地を初めて宮地に移したところです。 命は手野があんまり辺鄙なところにあるので、新しい本拠地を探していました。 しかしどこに決めたらよいか命自身も分からず困っていました。 命は天の神に選んでもらうことにしました。身を清め、神にお祈りして手野から天に向かって矢を射ました。矢はぐんぐんと飛んで今の矢村社の所に落ちました。命はそこを新本拠地と定めて移ってきました。そして矢が決めた場所なので矢村社と名づけました。命の館が出来ると付近に人々が集まって村ができました。 だからその村を今村といいました。西の方にも町ができました。それが西町です。このようにして宮地の矢村社を中心にして阿蘇谷中に村や町がひらけていきました。矢村社には、その時落ちた矢が祭ってあるそうです。 4 矢の島の産(うぶ)神社坂梨の滝室坂の登り口の右手に豊かな湧水があり、坂梨の水源になっている所があります。 この一帯は矢の島とよばれ、川のほとりに小さな産(うぶ)さんと呼ばれるお宮が祀ってあります。矢の島については次のような伝説があります。 阿蘇開拓の神健磐龍命の妃、阿蘇都媛のお産のとき「静かな場所で産みたい。」という媛の願いが出されました。 命は媛のために一番ふさわしい場所をきめるため、天地の神々にお祈りして天に向かって矢を射ました。矢はぐんぐん進んで矢の島に落ちました。命はここの南に面した台地に産屋を建てて媛を迎えました。媛は非常に満足して出産したといわれています。 今、そこは産の平と呼ばれ、産神社というお宮が建っています。大明神の妃の神力にあやかりたいとして、乳の出ない母親が今もなお、訪れています。昔は竹筒に甘酒を入れてお供えすると霊験が現れると信じられお堂には竹筒がたくさん見られましたが、今はあまり見られません。 5 健磐龍命と鬼八伝説健磐龍命の家来鬼八法師は矢拾いをすることになっていました。あるとき、命が弓の稽古のため 往生、杵島の頂上から弓を的石めがけて射掛けました。百本目の矢を取りに行った時、鬼八は矢を足蹴りにして投げ返しました。運悪く矢は健磐龍命の腿に突き刺さりました。 命は怒って鬼八を捕まえて斬りました。しかし手を切ると、手はまた元に戻ってくっついてしまう。足を切っても首をはねても生き返ってしまう。困ってしまった命は手を切ったら遠くへ行って埋め、足を切ったらまた違う所に埋め、やっとばらばらに切り離しました。 最後に切った首は天に舞い上り命をにらんでこう言いました。「阿蘇には作物が出来ないようにしてやるぞ」 それから阿蘇は霜や雪が降って作物ができなくなり、人々は苦しみました。命は反省して「鬼八よ、どうか許してくれ、どうかもとどおり、作物が出来るようにしてくれ」とわびました。鬼八は「そんなにあやまれるなら元どおりにしてあげます。でもあなたから切られた首が痛むので、首を温めてください」と言いました。 命は役犬原に霜宮神社を建てて鬼八を祭り、鬼八の首を温めてやりました。すると あそは作物がたくさん出来る土地になりました。それ以来今日まで霜宮さんの火たきは続けられています。毎年役犬原では「火たき乙女」が選ばれ 八月十九日から60日間「火たき殿」でその少女がたき火をして、鬼八のくびを温めています。
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