民話 6〜10
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6

阿蘇の天女の羽衣

7

根子岳の背くらべ

8

鎮西八郎為朝の猿退治

9

根子岳のばけ猫

10

古神のばけ月

      阿蘇の天女の羽衣

 健磐龍命の義弟(きてい)に新彦命(にいひこのみこと)という人がいました。この人は健磐龍命を助けて阿蘇をひらいたので、第七宮としてまつられています。命は水浴が好きでした。

その頃、宮地の植木の原の田鶴原神社一帯は、美しい水がこんこんと湧きでていました。そして、その泉のまわりには枝ぶりのよい木や美しい草花などあって、まるでお伽(とぎ)の国の楽園のようにきれいでした。

命(みこと)は夏になるといつもここに水浴にきてたのしんでいました。ある暑い日の午後、命が泉(いすみ)にやってくると、三人の天女達がすでに水浴をしていました。天女達もあまりの暑さに地上のこの美しい泉で水浴がしたくなって舞い下りてきていたのです。

命は、とっさに岸にぬいであった天の羽衣の一つをとって、わからない所にかくして木立の間からそっとのぞいていました。

三人の天女達は、何も知らずに水浴をたのしんでいましたが、天国に帰る時間になったらしく、泉からあがって羽衣を身につけ始めました。ニ人の天女は羽衣を着ましたが、あと一人の天女はたしかにおいたはずの自分の羽衣がありません。羽衣がなければ天国へは帰れないのです。二人の天女も一緒に彼女の

羽衣をさがしましたが見つかりません。ニ人は仕方なく一人を残して空高く舞い上って帰っていきました。

残された天女は、天に帰れないので水辺で泣いていました。それまでずっと木陰(こかけ)からみていた命は天女のところに近づいていいました。

私ほあなたを姫にしたいので、あなたの羽衣をかくしました。私はあなたが好きです。私と一緒になって阿蘇をひらきましょう。」すると天女はいいました。

「いいえ、私は天女です。天に帰らねばなりません。私の羽衣をかえして下さい。」命は 「いいえ、かえしません。私の嫁になってぐださい。」 天女は羽衣なしには帰れません。仕方なくお嫁さんになって一緒に田作りをしました。天女はつぎつぎに十二人のこどもを産みましたが、こども達はみんな玉のように美しく、天女自身もいつまでも娘のように、若く美しくしていました。

命は、よい嫁をもらってとても幸せでした。十二ばん目の子は女の子で、母親の天女そっくりだったので、命はとても可愛がっていました。 ある日、いつものように、その末娘をだいて庭を散歩していました。

「天女には、もう十二人もこどもができたので、天には帰らないだろう。そして、この幸せはいつまでも続くだろう。」そう思うと、急に心がうきうきして、ついに末娘に子守唄をきかせました。

「お前(まえ)の母の羽衣(はごろも)は、せんばこずみの下にある。おろろんばい。ころろんばい。おろろん、ころろん、ねんねこばい。」

この唄をきいた天女は、すぐに手野にいって、せんばこずみをさがすと、その下から昔の自分の羽衣がでてきました。天女の喜びはこの上もありません。さっそく身につけ、天にむかって飛びたとうとしました。

命はびっくりして必死になって天女をひきとめましたが天女の心は変りません。「そんなにこいしいなら、宮山(みややま)にたずねておいで!」といって、命(みこと)と十二人のわが子をのこし、高く高く天に上っていきました。

天女が天に帰ってしまうと、命(みこと)はすっかり失望して、益々天女がこいしくなりました。そして、うっかり唄(うた)った子守歌で私密をもらしたことを深く後悔(こうかい)しました。

しかし、天女が別れる時にいったことばを信じて、命は毎年一度、永水の宮山 (乙姫山) に天女を訪ねていきます。そして天女をさがすのですが、天女には会えません。

しかたなく、天女に似た娘を探して結婚するのですが、天女でないから満足できません。だから一年たったらまた宮山を訪ねて娘をさがすのです。

このことが今まで阿蘇神社の神事として続き「御前迎え」と呼ばれています。その時、宮山の娘をお迎えするのが「火振り」です。昔は町中で火を振って迎えました。命は、毎年このように宮山を訪ねて天女に会いに行きますが、本当の天女には決して会えないのです。

       根子岳の背くらべ

(その一)

健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、水がひいた火口原の中に高岳、中岳、えぼし岳、きしま岳、根子岳をつくりました。そして、出来た順に山の高さもきめていました。

一ばん後に出来た根子岳は、特に小さく、みんなにチビといわれて、からかわれていました。ところが、この根子岳が急に背が高くなり始めました。そして、あれよあれよという間に、きしまをぬき、えぼしをこして、中岳と同じになりました。三人とも弟が自分を追い越していくのに心の底から腹を立てまし「今度は一ばん上の高岳兄さんも追い越して見せる。

根子岳は兄たちの気持も察しないで成扱っていいました。 そして、とうとう高岳を抜いて一ばん大きく高い山になりました。「どうだ!私が一ばん高く、一ばんつよいだろう。今日から私が大将になるから私の命今に従いなさい。」と四人の兄にいい渡しました。兄たちは弟の暴言に腹を立てて命(みこと)に申し上げました。

健磐龍命は根子岳にいいきかせましたが、却って反発して 「私のどこが悪いのですか。」とくってかゝりました。

命は根子岳の根性をいれかえるために、竹の先のバサラで数回、根子岳の頭をなぐりました。命(みこと)の怪カで根子岳は自慢の鼻を祈られ、傷だらけになって、すっかりおとなしくなりました。

今、根子岳がぎざぎざの鋸状(のこぎりじよう)になっているのは、大明神からバサラでたたかれたきずあとだと人々は伝えています。

 (そのニ)

 前の話の中で、根子岳がどんどん成長して、高岳を追い越そうとしていた時のことです。

根子岳が高慢になって高岳に背くらべを申し込みました。 兄の高岳は、自分の方がまだ高いと自信をもっていました。大明神も高岳の方が高いと考えていました。 その日、大明神が立合って両方の背高を測ってみると、僅かに根子岳が高かったのです。命(みこと)はふしぎに思ってよくみると、根子岳の方にはよそからもってきた上が岳新しく積んであったのです。

いじわるの大分県の荻(おぎ)の天狗(てんぐ)が、もっと根子岳を高くして阿蘇のうちわもめ

をさせたいと思い、前後から何回も、もっこで土を運んで積み上げていました。 ちょうど大明神が根子岳と高岳の間で高さを調べている時、雲間からモッコに一ばい土を入れた天狗が近づいてきました。 大明神は「コラッ、根子岳に土を盛るとは何ごとだ!」と大声で叱りました。

すると天狗は、かついできたもっこの上をそこにおいたまま、あわてふためいその時、天狗がおいたもっこの上が二つの山になり、今、荻岳とよばれて波野村にそびえているのです。

       鎮西八郎為朝の猿退治

 むかし、阿蘇家ではペットとして一びきの猿を飼っていました。 ある日、その猿が飼育係の僅かなすきをみて、檻(おり)から逃げだしました。そして、手当り次第に乱暴を働き、ついに寝ている幼児をさらって、食い殺してしまいました。

阿蘇家の家来(けらい)たちは勿論、参拝していた人々や村人も集って猿を追いかけました。猿は、神社の横にそびえていた五重の塔の頂上にかけ登って、人間をあざ笑っていました。

阿蘇家の宮司は、自分の子を殺した猿に立腹して、命令しました。

「あの猿を退治せよ。退治した者にはほうびとして、私の娘をとらせよう。」 娘の白縫姫は、阿蘇で一ばんの美人だったので、若者たちは必死で猿退治にいどみました。しかし、猿はすばやく塔の高い所を逃げかくれするので、若者たちも誰一人として討ちとることができず、大宮司始めみんな因っていました。

ちょうどその時、京から九州に追放されたあばれん坊の源為朝が通りかゝりました。彼はカ待ちで、弓矢がすぐれ、都で乱暴ばかりするので、父から九州へおいやられていたのです。 為朝は、弓を持ってみんながわいわい騒(さわ)いでいる五重の塔の下にいきました。なるほど、神出鬼没(しんしゅつさばつ)のはやわざで猿が塔の上をでたりかくれたりしています。

為朝は、背負っていた竹龍を下ろしょした。その中には一羽の鶴がいました。それは彼がペットとして可愛がっていたもので、いざという時には為朝を助けるように訓錬もされていました。

為朝は、その鶴をとりだし、何か話しました。そして空に放しました。鶴は空高く舞い上り、川に砂をとりにいきました。砂をロにいっぱいつめた鶴は、もどってきて猿の上をぐるぐる回りました。猿は歯をむきだし、目を光らせて防戦していましたが、鶴は猿の目をめがけてカ一ばい砂を吹きかけました。そして、更に目のみえなくなった猿をつつきました。ついに猿はバランスをくずして塔の上から落ちました。為朝は、落ちる瞬間を一本の弓矢でみごどに仕とめました。

為朝は、美しい白縫姫と結婚し、坂梨に住みました。そして阿蘇家を助け、数々の合戦で手柄をたてて勢カを伸ばしていきました。後は熊本に出て雁回山に城をきずいていました。しかし、都からの命今が下って、帰っていかねばなりませんでした。

猿退治で手柄を立てた鶴は、阿蘇家に贈りました。阿蘇家では守り神としてその鶴を大切にしました。また、当時阿蘇に住んでいた鶴も手厚く保護し、捕獲を禁じて、その恩を忘れませんでした。 (馬琴の「弓張月」では阿蘇家の婿を辞退したことになっていますが、坂梨や雁回山の話に為朝のいい伝えがあるので、婿に入ったものと思われます。)

      根子岳のばけ猫

根子岳は猫にことばが通ずるし、樹木の茂ったこの山は猫のもつイメージと一致するのか、猫にまつわる話が多くのこっています。

(その一) ねこの根子岳まいり

昔は、どこの飼い猫も必ず二、三日から長いときは半年間、猫の本山である根子岳にお参りに行きました。

猫がとつぜんいなくなることがあるのはそのためで、長い間、本山にいたものは尾が二つに分れたり、ロが耳までさけたりして帰ってきました。

(その二) 巡礼の娘とねこ

ある美しい娘が、高森から日の尾峠をこえて宮地に向って歩いていました。むかしは、高森から宮地に通じる道は日の尾峠越えのこの道だけで、旅人もかなりこの道を通っていました。彼の日暮れははやく、日の尾峠をこえた項は日は西に沈みかけていました。 初めての路で、全く土地感のないその巡礼は、全く遠方にくれました。不安と心のあせりでとうとう道に迷って、けもの道のような小さい道を歩いていました。タやみにつつまれた木立の間をどんどん下っていくと、谷川に出ました。すると、一人の老女が月のあかりで一心に洗濯をしていました。娘巡礼は不安が一度に消えました。彼女は、その老婆に大きな声で町へ出る道をたずねました。しかし、聞こえないのかふり返りもしません。何度か声をかけましたが、何のてごたえもありません。ついに年もとまで近づいて、できる張り大きな声でたずねました。

すると、その老婆は、やっと洗濯をやめて娘の方をふりむきました。みると鬼婆ではなく、猫だったのです。ロは耳までさけ、眼はらんらんと輝き、それはそれはものすごい形相(ぎょうそう)で娘をにらみつけるのでした。 巡礼娘は「キャー、助けて。」と叫ぶと一目散に小みちをかけ下りました。後からその猫が 「コラー、持てー。」といいながら、たらいをもって追いかけてきました。つまずいたり、ころんだりすると猫はすぐ追いついて、たらいの水をかけるのです。彼女は、どこをどうやって駆け下ったのかわかりません。ただ必死に逃げました。村里に近づいた時、夜があけました。すると、今まで後を追っかけてきた猫も山へ逃げていきました。 気がついてみると、巡礼娘は村里のお堂で眠っていました。もう日が高く上すリ秋のさわやかな風が吹いていて、ぬれた着物もすっかり乾いていました。驚いたことに、猫から水をかけられた着物の表面に猫の毛が一ばい生えていました。娘は、もし素肌にかかっていたらと思うとみぶるいをおぼえました。

(その三) 人くい猫

 むかし、大分のきこり達が根子岳の奥の山林に木をきりだしに来ました。 彼等は、年日ふもとの付から通って働いていましたが、ある冬のさむい日、仕事中に大雪となって帰ることができないようになりました。 幸い、ふだん使っていた山小屋があったので、彼等はそこにとまることにしました。みんな小屋の中でたき火をしながら寝ていると、夜ふけに一人の美しい巡礼娘が訪れ、大雪で道に迷ったから泊めてくれとたのみました。 みんなは娘に同情して、とめることにしました。真夜中、みんながぐつすり眠っていると、女巡礼はたちまち大猫になって、一人のきこりにおそいかかりました。たき火のうす明りでその化猫の恐しい姿をみた仲間は、かねて備えつけていた鉄砲で化猫を打ちました。さすがの化け猫も鉄砲が一ばん恐しいのです。戸口を破ってやみの中に逃げていきました。翌朝、外をみると、大きな猫の足跡が山奥の方にずっと続いていました。

(その四)山田の化け猫  

今も山田にはアサゴゼ坂というところがあります。アサは人の名で、ゴゼはびわひきのことです。この話はアサゴゼばあさんと化け猫の話です。 ビワひきのアサさんには一人の息子があり、この坂を登りつめたところに一緒に住んでいました。息子は狩が好きで、いつも鉄砲をもって野山を歩き回って、鳥やうさぎなどをとっていました。

ある日、山の中で大猫を見つけたので、鉄砲で打ちました。不思議なことにその猫の姿がバッと消えました。若者は 「すばやい猫だなあ、鉄砲のたまがとどかぬうちに逃げてしまった。」とひとりごとをいってくやしがりました。ニ、三の護物(えもの)をかついで、タ方帰ってみると、今朝まで元気だった母親が具合がわるいといって床についているのです。孝行な息子はとても心配して、夜もねないで看病しました。朝になると、母親は魚が食べたいというので、息子は川からたくさん魚をとってきて食、べさせました。今まで魚ぎらいだった母が急に魚が好きになったので、息子は不思議に思いました。しかし、早くよくなってもらいたい一心から、せっせと魚料理を作りました。

病気が長びくので、医者はいやだという母にかくして医者をよんできました。医者がくると、母親はいやがって頭からふとんをかぶってしまいました。医者と一緒に無理やりふとんをはぐと、山でみたあの大猫がうずくまっていました。 とつぜん猫が逃げだしたので、息子は村人をよんでどんどん追っかけました。猫は根子岳の方に逃げていきます。追手も逃がすまいと追いかけます。しかし、根子岳の森の中でとうとう見失ってしまいました。 息子が帰ってしらべてみると、床の下にほんとうの母親の骨がありました。親に化けていたのです。そのことがあってから、この坂をアサゴゼ坂とみんながよぶようになりました。 

(その五)化猫退治 

むかし、山東彌源大(さんとうやげんた)という熊木一の豪傑がいました。彼は各地で化け物退治をしたり、悪人をこらしめたりしたので、熊木では誰一人として知らぬ人はいませんでした。特に彼の百間石垣後とびは有名で、ただ強いだけではなくて、アクロバット(怪わざ師)のように身の軽い人でもありました。 ある時、彼は阿蘇神社のお祭りの日に宮地に来ました。神社におまいりして、彼は大宮司に合いました。 大宮司はいろんな話の中で、彼に根子岳の頂上の天狗岩に住む化け猫の話をしました。当時、そこには化け猫が住み、根子岳に近づいた人は一人のこらず食い殺され、誰一人帰ってきた人はいなかったからです。住民は山菜とりにも木のきりだしにもいけず、大変因っていました。

禰源太はだまってきいていましたが、「よし、おれが退治してやろうどと決心していました。

夜が更けると、愛用の名刀「頼国光(らいくにみつ)」を手にとって、ただ一人、根子岳に登っていきました。 天狗岩につくと、不気味(ぶきみ)な風が吹き始めましたが、化猫も姿を現しません。禰源大は次第に疲れてコクリコクリと眠り始めました。そのとたん、雷のような大きな音をたてて、大入道がおそいかかってきました。ロは耳までさけ、目をらんらんと輝かせて、鋭い爪で彼にせまってきました。とっさに我にもどった禰源大は、入道の右手の人が彼をとらえる瞬間、頼国光の名刀で 「エイッ」とばかりに切りつけました。手ごたえはありましたが、それでも入道は死にものぐるいでむかってくるのです。彼も今までにない強敵なので全カをつくして戦いました。双方一時間も死カをつくして戦った後、ついに大入道は頼国光の刀で胸元をえぐられ、死んでしまいました。 まもなく朝日が登ると、大入道の死体は、日の光があたった所からしだいに猫にかわり始めました。そして、ついにあの大きな体が子牛ほどの大猫に変り禰源大は、その大猫の死体をかずらでぐるぐるしばって、ひきずって町まで下ってきました。住民は大喜びでした。それから安心して、根子岳で山仕事ができるようになりました。 

(その六)ねこの王様屋敷(やしき) 

むかし、根子岳にはねこの王様がいて、毎年節分の夜は郡内のねこが王様にあいさつに訪れ、根子岳付近では猫の行列をみることができました。 ある日、一人の旅人が根子岳で道に迷い、さまよううちに日が暮れてしまいました。山の中からあかりがみえるので近づいていくと、大きな門がみえ、御殿のようなりっぱな家が建っていました。こんな山の中にこんな豪華(こうか)な家があるとは不思議なことだと旅人は思いましたが、泊まることにしました。 家に入ると、若い女の人が部屋に案内しました。すると、すぐ別の女の人が入ってきて、入浴の案内をしてひっこみました。 長い廊下を風呂場の方に行っていると、少し年をとった女に出合いました。女は旅人をみると、びっくりした様子で、近づいてきていいました。「あなたがどうしてここに来られたか知りませんが、早く逃げて下さい。湯に入ると猫になってしまいます。今まで何人も迷いこんだ人間が猫にされました。私はこんなことを教えると王様から殺されます。でも、死を覚悟で言っていま

す。実は、私は五年前、隣にいた三毛(みけ)ねこで、あなたからいつも可愛がられました。その恩があるからこそ教えているのです。今すぐ逃げて下さい。」 旅人は、猫にされてはかなわないと、三毛ねこ女にお礼もそこそこに、その家をとびだして一生けんめい逃げました。 急な坂にさしかかった時、後をふりむくと、三人の若い女が湯を入れた桶とひしゃくをもって追いかけてきました。そして、高い所から旅人めがけて湯をふりかけました。坂の下を走っていた旅人の耳の下と足のすねのところに、そのしぶきが少しかかりました。 旅人はやっとのがれて宮地につきました。しかし、しぶきがかかった所は、猫の毛が生えていました。家にかえってしらべてみると、となりの三毛ねこがいなくなったのはほんとうに五年前のことでした。

10     古神のばけ月

古神は、むかしはさびしい所でした。そして、道路ぞいに一本の大きな榎(えのき)がありました。

その榎(えのき)に一匹の古狸がいて、毎夜道ゆく人をだましてよろこんでいました。

いろいろなばけ方を知っていましたが、一ぼん得意なものは、「月見の枝」でした。それは、狸がその榎(えのき)にのぼって、枝ぶりのよい枝と美しい月に化けることでした。

淋しい夜など、古木の彼の枝にかかる名月の風景は絵より美しく、人々は心をうばわれ、うっとりと見とれるはどでした。 このことは、たちまち評判になり、狸の仕業(しわさ)と知らないで、月見に訪れる人が多く、「古神の月」とよばれて名所になりました。

ある寒い夜、満月の日でしたが、雲がかかってほんとうの月はみえませんでした。狸は、その日も人をおどろかすつもりで月をだしていました。そこへ他国から一人の旅人が通りかかりました。

「うわさには聞いていだが古神の月はすばらしいながめだ。」といって立ちどまり、みせられたようにながめていました。

すると、ほんとうの月が雲間から出て、月が二つになりました。その旅人はびっくりして、「どちらの月がほんとうの月だろうか。」とひとりごとをいいました。

狸はそれをきくと、あわてて自分の月を消しました。

「あら、一方の月がなくなった。あの月の方がきれいだったのに…。」 それを聞くと、狸はいい気になって、また月を出しました。 旅人は、「あ、気味がわるい。月が二つになったり一つになったり、全く奇妙(きみょう)なことだ。」といって、一目散に町の方に逃げていきました。

また、ある曇った日、ほんとうの月はでていないので、狸にとってはもってこいの夜になりました。狸は、いつものとおりほどよいところに枝と月をだして、人のくるのを持っていました。

「この月は古狸の仕業(しわざ)だ。いつかこらしめてやろうどと思っていた宮地の人がいました。その日、彼のところにやってくると、いつものように美しい月がでていました。

「よし、今日はこちらがだましてやるぞ。」と心の中でいいました。

「ちがう、ちがう、月はもっと下でないといけない。」

それを聞いた狸は、どんどん月を下げました。

「いやいや、あんまり下った。もう少し上がよかろう、狸は少し上げました。「高さはいいが、もっと右の方がいい。」

狸はあわてて右の方に月を動かしました。

「おかしいなあ、もう一方にも古枝があったはずだが…。」

それをきくと、狸はますますあわてて、つかまった手を枝に突きだしたからた まりません。大きな体がどしんと音をたてて地面に落ちました。

男はにっこり笑い、「今日は私の方が逆に狸をだましたなあ。」といって立ち去 りました。


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