民話 26〜30
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26

彦しゃんの餅盗み

27

大力 ナバ

28

田植地蔵

29

狐とたにし

30

動物と鳥の合戦

 

26 彦しゃんの餅盗み 

 一の宮町宮地 岩永 寿

( 出典:関西外国語大学 三原研究室 阿蘇山麓の口承説話より)

 

彦しゃんが、うちが貧乏で正月が来たっちやお餅がぜんぜん搗けん。

どぎやんしたら良かろかちて、いっしょうけんめい考えよったとこが、ようしつけんなら、俺が良か知恵があるばい。町に食紅ばその買いい行って、そして近所んえら金持ちのうちがポッタンポッタン、幾日も幾日も餅を搗くけん、そこん餅を搗いたそん晩、こつそりそのうちに入って行って、そしてその食紅ば、鴇いてもろ蓋に並べてある餅に食紅ばべーッと皆、餅の頭の上のとけ付けちもうて、それから翌朝、彦しゃんな知らんふりしてから、そこうちい行たとこが、そんうちの人は昨日搗いた餅が真っ赤になっとるけん、 「どうしたこつちやろか」ちゆうて心配しとるけん、 「こらあ、その恐らく何か毒が吹いたっちやなかろうか。知らんと食たら死にやせんどか」ちか、皆えら大騒ぎしよるところへ、その彦しゃんが行って、そして、 「はあ、そりやまあ何か、昨日こん近所の稲荷さんの狐かなんかが毒ばつけたつばい。そぎやん餅どん食たなら、そりやあもう皆が家中ん者は死んでしまう。そらあ私が持ってどっか川か山ん方にいっちょ捨てに行ってあげまっしゆう。」

で、その餅ば全部彦しゃんな袋ん中にもろち、やっさやっさとうちに持って帰つち、そん餅で正月を過ごしたちゆう。(通観七一五 餅に足あと)

 

27 大力 ナバ  一の宮町宮地 岩永 寿

( 出典:関西外国語大学 三原研究室 阿蘇山麓の口承説話より)

 

なぜナバちゆうかと言うとですな、そのナバ (きのこ) ちゆうが、大体からだは太うしてちった人間の良かった青年らしいですな。で、その山にナバ取り行ってから、そのナバだけを取って来んな、ナバの生えとる木から持って来て、そのうちに持って帰りよったちゆうですな。それであだ名がそのナバ、ナバちゆうふうに 「ナバ」 になったちゆう。ところが、このナバちゆうは、その泣けばですな、非常に力が出るちゆう訳です。其れであそこのイソガンダニの前にそのころから加藤清正の頃、堰が出来たんですが、その堰を作る時にですな。このナバがナバちゆうはその高原ちゆうちから西町の向こうの方にそのこちらのショウダイサンからずうつと直線距離では、六キロ位ですかな。で、その働きにこう行って、そしてナバを泣かせると力が出るもんだけん、皆がなんとかかんとか無理難題言うちから泣かせる。泣かせると涙がゴロゴロこぼすと思う力がゴオツと出ておいて、そしてその木でん何んでん根こそぎ引つこ抜くちゆう訳ですな。で、木を根こそぎに引つこ抜かせたり、それからその後では大きな石が必要なのでその石を山ん上にある、ナバを泣かせちょいて、持って来らす訳ですな。ところが、今度は妙な石があって、ナバが泣いてひたさら持って行くと翌日は元へ返っとるちゆう訳です。で、また泣かせちからナバが何遍も何遍も運ばせた言う石があのシロナンゼンの城に今でもあります。この石がナバの泣き石、それからある日のこと、そのナバは、 「うわあ、お江戸は大火事やあるよ」ち。そのナバがある日言うたそうです、ところが、それから一ケ月かニケ月後、そのナバが言うたちょういとその時に江戸の大火があったと言う。

「ナバは千里眼じやったばい」 ちゆう、そぎやん話が残っとります。

 

二十八 田植え地蔵  

 一の宮町宮地 小野 時枝

 

昔々あその田舎に大変働きもんのお百姓さんがおんなはったちったい。 毎日 畑や田んぼで一生懸命働きよったと。 田んぼにいく途中にお地蔵さんが祀ってあったき、いつも行き帰りにお花をあげち、お参りして深く信心しよんなはったと。

或る日朝早よかる田んぼの田植えをしてせっせとがまだすばってん ちっとんはかどらんで もう暗うなりかけたちったい。

「困ったな、今日中に植えにゃならんとにどうしたもんか。」ち、ひとりごつば言いよったとこるが、どこかるか一人のじいさんが出てきて

側まじ来ると「わしが手伝ってやろう。」ち言うて、苗をさっさ と取ると、田んぼに植え始めちったい。 その早えこつ、早えこつ、長年 田植えをやりよるお百姓さんも たまがる早さじ、みるみる田んぼ全部に苗を植ちしもうたちったい。

「おじさんな、一体どこんお人でしゅか、たまがりましたばい。ちょうじょうあーた。ありがとうございました。」とていねいにお礼を言って頭を下げたばってん、おじいさんは何も答えはせんでニッコリ笑ってすたすたとどこかに消えてしもうたちったい。

お百姓さんな 一時 ぼんやりと立つちょたばってん、だんだん暗くなったき、道具を片付けち、帰る途中いつもんごつ地蔵様にお参りしたと。 じっと目をつぶっておがみ、目をあけち見ると、お地蔵さんのすそが、泥でよごれちょるとが目についたと。「そうじゃったか、あれはやっぱりお地蔵さんじゅったつばいなあ。」何度も何度も頭を下げたちゅう話たい。そりから この地蔵さんを「田植え地蔵」と言って村人に大事にされたちゅうこつたい。

モシモシ米ンダンゴ早ヨ喰ワニャ スエル。

 

29 きつねとたにし   

 一ノ宮町東手野 昭和7年ころ 後藤チモト

 

あんな、山ん中におったきつねが「何かよかもんなかろうか」ちゅうち、えもの見つけに里にやって来たちったいな。田のくろをあっちこっちしゃろき(あるき)よったらな田んぼん中かるタニシが話かけたちじゃもんな。

「きつねどん、わたしと向こうん山まじとびくらいご(はしりくらべ)しゅい」きつねは「うんそりょあおもしろかろ」ちゅうち とびくらいごするこちなったたい。

タニシがな「よーいどんばする前に、そのしっぽをこん田ん中につけなっせ」キツネは「よーしきた」ちゅうちタニシの言うとおりしたっちたい。そして 「よーいどん」で向こん山までとびくらいごしたったい。

山につくとキツネは「あん のろすけタニシが今どこへんどん来よるどか」ちゅうち後ろを振り向いたと、そん ひょうし、しっぽにすいついちょったタニシが「ポトン」と下に落ちたちったいな。 「キツネどん、ここばな わたしゃ早よ来っちょたたい。あんたおそかったな、わたしの勝ちたい」ち、いばったちったい。キツネどんな うなずいて しもたちったい。

(もーしもーし 米だんご

早よう食わんにゃのうなる)

 

30 動物と鳥の合戦             85歳 老母

 

昔話をします

ある山の中に一匹のたぬきがおったちったい(いました)ぶらぶらしゃろきよると(あるいていると)うぐいすがいい声で鳴いたと。 その時たぬきは足をとめて聞くとすばらしい声じゃもん。あんな いい声じゃもん。あんないい声で鳴くうぐいすはさぞかし美しい巣の中に住んでいるとじゃろと思って行って見ると、声には似合わぬきたない巣じゃった。そこでたぬきはその巣をうちくずしてしもうたと。うぐいすが帰って来て巣を見ると、見るもあわれな姿にうちくずされているもんじゃき、すっかり腹をたてたうぐいすは、さっそく鳥類をみんな集めてそのことを話たと。

すすめ、からす、めじろとありとあらゆる鳥類が力を合わせて、たぬきに合戦を申し込むことになった。代表に一人がたぬきに合戦の申し入れに出向いたと。

それを聞いたたぬきは動物をみんな寄せちったい。すると一匹のキツネがでて「あすの合戦にはみんなそろって私の尾に身をつけてくれ」と言うち。そして「尾をぴんとあげたならすすみなさい、ぶらりと下げたらお引きなさい」と言うたげな。そのことを聞いていたはちが鳥のところへ行ってそのことを話しました。

そこで鳥類たちはキツネの尾がぴんとたったらはちが尾にさすことになりました。いよいよ合戦になりました。朝露のきらきらする頃みんなそろって動物がときの声をあげてわっとせめいったときはちがキツネの尾をちくりと刺したと。それでぶらりと尾をさげた。またあげました。さしました。ぶらりとさげました。ついに合戦はべたべたになったと。めでたしめでたし。

注;この話は85歳の老母が十さいのころ祖母(当時70歳)から聞いた話だそうです。

聞き手 阿蘇町 中本セイ子


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