民話 36〜40
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36

銀杏墓の話

37

なばの話

38

ボタモチ

39

ほととぎす

40

チューヨミ鳥

 

 36 銀杏墓の話

 

雨のしょぼふる夜、村の若者が集まり世間話をしていた。 そのうちに 一人の者が

「どきょうだめしをしたら どうか。」と言い出した。 他の者も連日の雨で野良仕事も出来ず昼間から体をもてあましていたので 「それは「よかろう。面白かろう」と 全員話はすぐまとまった。

道筋は上井手のお畑をへて藤藪を通って、西の墓地に行き、そこにいぐいを打ち込んで帰って来ることになった。お畑というところは、川があり大きな木がこんもりと茂り、夜になると川の中から キンシャキキンシャキと丁度あずきを洗う時の音が聞こえてくるので、あずきとぎがでるとうわさされた。しかし 音は聞いても 正体を見た者は誰一人いない。

ここを右折して原口を通り、部落はずれに藤藪という所がある。ここは大木が両側から迫り藤かずらが木にからみつき昼でもうすぐらく人通りは少ない。

夜になると 馬の首が下がり、ちょうちんを下げてここを通ると、ひとりでに灯が消えるといわれるこわい所。 昼でも女子供は ここを通らず回り道をするとか。

藤藪をへて 田んぼ道を西へまっすぐ行った所が西の墓地である。早速 村中で一番とび上がり(オッチョコチョイ)のA氏が行くことになった。

みのかさに はだしで 着物のすそをはしょり、いぐい一本にどんじ(かけや)を肩にかつぎ、足早にでかけた。 村の衆は待てど暮らせどA氏が帰って来ないので 心配してみんなで見に行った。 そこには みののすそを いぐいと一緒に打ち込んで気絶したA氏がいた。

A  氏は 仕事を終えていざ帰ろうとしたらすそを引っ張  られ てっきり死人がひっぱった

と早合点したとか。 翌く朝は雨もやみ 村の者が 墓地に行ったら、昨夜いぐいを打ち込んだ場所に一本の銀杏の木が生えていた。 それからこの墓を銀杏墓といいうようになった。

今でも銀杏の大木が茂っているが実はならない。

昭和50年2月1日

 

37 なばのはなし

 

なば といえば大変ゆうめいでありました。 その力の強いこと なばとりに出かけて 木に生えたなばを根こそぎひきぬいでくるのです。

小嵐山の前に 堰をつくることになりました。 なば は泣かないと力がでないのです。

その日もなみだをぽろぽろと こぼしながら 仕事を続けました。 竹山から 竹をひっこぬいてきて鹿漬川(しかつけかわ)に堰をつくるのです。流れが強いので 大石が必要でした。

なばは 小嵐山の中腹 まで登って体の何倍もある石をかたげてきました。川の真ん中にその石をすえました。 翌日 残りの仕事をしに行ってみますと 堰は流されて あとかたもありません。

なばはまた大石を探しに小嵐山の中腹に登ってきてみると、 たしかに きのう 川の真中に置いたはずの石が もとのところにもどっているのです。 ふしぎなこともあるもんだと

つぶやきながら「よいしょ」とまた石を運びました。

翌日 行ってみると 石は またもどっていました。 翌々日も同じように石はもとのところにもどっているのです。

なば はもういじになっていました。 何日も 何日も おなじ石を 同じように川に運びました。 村の人たちは きっと 天狗かなにかのしわざだと思いました。天狗のしわざだとすれば なばがかつはずはありません。 なばはあきらめて ほかの石を つかうことにしました。 やっと堰は完成しました。 なばの泣き堰のあとは今でも 堰として残っています。 そして 泣き石も また 小嵐山の中腹に 半分 土にうもれて残っているのです。 なばの泣き石 何の変哲もない石ですが 頑固に 今でも 胸をはってどしんと腰をすえているようです。  

 

 

38 ボタモチ

小野トキエ氏から聞く

採話場所   小野トキエ氏宅 採話年月月  平成71027

話者 小野トキエ氏 採話 浜津百合子 井英子

 

むかし むかし、或る所に、欲張りおばあさんがおりました。

とても欲張りで、お嫁さんに何も上げませんでした。 みんなから、欲張りぱあさんと言われていました。 或る日、親戚の家へ法事にいかねば成りませんでした。

其の朝、近所の人かうボタモチを貰っていました。

大分隠し場所を探しましたが見当らず、おばあさんは重箱のボタモチに言い聞かせをしておきました。

「ボタモチよ、ボタモチよ、嫁来たならタンナになれよ。」と云って出掛けました。

其れを次の部屋のお嫁さんが聞いていました。ようし何時もおばあさんに意地悪され

ているから、今日は仕返しをしてやろうと思い、重箱のボタモチを全部食べてしまい 

タンナを二三匹入れて置きました。やがておばあさんが帰ってきました。

そして、重箱を開けると、カエルが飛び出しました。

おばあさんは、びっくりして、

「嫁では無いぞえ、ぱぱぞえ ぱばぞえ。」と云い それからは良いおばさんに成りました。

モシモシ 米んだご早よ食わにやすえる。

註 タンナ蛙のこと 熊本市ではタンギャクなどという

 

39 ほととぎす

 

阿蘇ん山の中に 二人の兄弟がすんでいました。 兄をヒデ 弟をタケといいました。

兄のヒデは小さい頃から目が見えませんでした。 それで、 兄さん思いのタケは 毎日 山へ行っては 山いもや 木の実をとって来ては兄さんに食べさせていました。ところが いつも たくさんとれる山いもが どうしたことか その日は どうしても見つかりません。 一日中 山の中を歩きまわっても ビワ くびのちいさい山いもばかりでした。

もう あたりは暗くなってきました。 「早う 帰らんと 兄さん 腹ぺこで待っとるばい」と思いながら急いで帰りました。 「兄さん おそうなってごめん 今日はどうしてん よいものが見つからんで おそうなってごめん」といって いもを洗ってやりました。

食べてみると 小さいまずい いもばかりでした。その夜 兄のヒデは ひもじくて どうしても ねむれませんでした。

「弟のやつ おれには まずい いもばかり食わせて 自分ではきっと おいしところばかり食べているにちがいない。」 と思って そっと起きてねてる弟を殺してしまいました。

すると ふしぎなことに 目がぽっかりと あきました。 見ると弟の腹の中からは それはひどい ビワくびの細い いもばかり出てきました。 

兄さんは嘆き悲しみましたが どうすることもできません。 毎日毎日 朝から晩まで泣き続けたので 口から血が出るようになりました。 おしまいには とうとう鳥になって「タン タン タケジョ 弟がコイシ」と泣くようになりました。

(それで今でも ほととぎすの口は まっかだそうです)

 

40 チューヨミ鳥

 

あるところに チューヨミさんちゅう人がおんなはったちったい。

いつも牛に水をやるとが 一日の仕事になちょったちったい。

そしたところが 遊びばかりけーのぼせち 牛に水ばのませるとば わすれち しまいなはったちったい。 とうとう牛しゃ新でしもたき 泣いてかたじ 牛ば川ばたに うめさしたと。

そしたところが じぶんな やがて鳥になってしまわしたちったい。

あめが降って 川んみずがふえると 牛が流されはせんどかち思うち ゴーウ ゴーウ

上にのぼったり 下ったりして 鳴くごつなったちったい。

(もうし もうし 米だんご 早よう食わにゃ ひえる) 

 

高橋 佳也編  阿蘇ん話U 水乞い鳥

 

 阿蘇の岳川(たけかわ)のほとりに、チョチュミという名の子がいました。チョチュミのうちは、お百姓さんです。チョチュミは毎日牛の世話をするのが仕事でした。お父さん、お母さんは田畑の仕事です。「牛に水をのませるのを忘れてはだめだよ」お父さん達は、今日もそういって野良仕事に出かけて行きました。 チョチュミは遊びざかりのこどもです。でも、牛に水を飲ませるのは、絶対忘れてはいけない事でした。お百姓にとって、一番大切な牛を死なせでもしたら大変なことになるのですから・・・・でも、チョチュミはその大事なことを忘れてしまったのでした。一日中水が飲めなかった牛は、それがもとで体がよわってとうとう死んでしまいました。一日中水が飲めなかった牛は、それがもとで体がよわってとうとう死んでしまいました。                                                          チョチュミは泣きながら牛を川ばたに埋めたのです。
 そして、あまり泣いたものですから、鳥になってしまいました。

 「ゴーワ、ゴーワ、キキキキ」と鳴きながら川を上り下りする水乞い鳥のことを、阿蘇では「チョチュミ鳥」と呼んでいるのです。
 「ほ−ら、チョチュミ鳥が鳴きよるばい。あしたは雨じゃろかな」おばあさんが、そう                                   
いいながら空をながめてでもいたら、翌日はたぶん雨でしょうね。

 

 


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