民話 41〜45
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41

ミソッチュ(みそさざえ)

42

八間とびの縞わくど

43

狐の嫁入り(実話)

44

朝起会の火玉(実話)

45

 長い名前

 

41 ミソッチュの話

 

昭和7年頃 後藤(山部)チモト この話は古城東手野の山のしたにある 部落の地形をうまく表現した面白い話です

 

ある日 小鳥たちが 話をはじめちったい。「お日様は どっちかる出るどか」 雀が言うと「そりゃあ 東かるたい 東に決まっちょるばい」 カラスが大きな声で言うたち。そりで ほかの鳥たちも みんな 口をそろえて東と言うた。

そん時 ミソッチュだけが 「いやちがう お日さんな 西かる出る」ち 言うたき とうとう県下になったちったい。 「そんなら 明日ん朝 早よう 起きてお日様ん出なはるとば待っちょこ」 ということになったと。 あくる朝 みんな早起きしてお日様の出るとば待っちょたと。 皆一斉に 東の山に向かって 今か 今かと見ちょった。 そん時、ミソッチュが

「ほらみんな見ろ」と言うち、 西の山のてっぺんば指さしたと。

見ると西の山まのてっぺんは まっ赤になちょった。 みんな「あら ほんなこつ」と見とれちょると ミソッチュがまた 「こんだ こっちかる」ちゅうて 東の山を指さした。見ると 太陽が少しのぞいている。みんな 「ああ ほんなこつ はじめは西がまっ赤になったもんな」 ミソッチュは「どうか見れ」と威張ったちったい。

(もーし もし 米だんご 早う くわにゃのうなる)

 

42 八間飛びの縞わくど

昭和7年頃 古城東手野 70歳のおじいさんより 採話 後藤(山部 チモト)

 

大雨上がりの日に 一人のおじいさんが 道を急いで行きよったと。そしたら 道のまん中にしまわくどが出ちょったちったい。 「こげな 道の真中に出て来るとあぶねえばい。早よう そっち よけんと馬かる 踏みしゃがるるばい」と言うと 「いらん 世話たい。 わたしゃ かくれんでん よか」と言うて[i]じょうしきしたそうなたい。 おじいさんは帰り道 そこば 通りかかったと 見たとこりが あん縞わくどは 踏みしゃがれ ジゴば出して死んじょったと。

「どうか見ろ 人ん忠告は聞かんき」 ち言うちかたじ 片付けち やんなはったと。

 

*「人の忠告は聞かにゃ いかん」と おじいさんは言ったと。  情識;じょうしき:勝手な考え、わがまま。

 

 

43 きつねの嫁入り

     (古城東、西手野) 後藤 チモト

        このはなしは私が小さい頃(小学生頃)本当にあった、よく見た実話です。

 

 東手野と西手野の中間くらいから 下の方の田んぼの中に お仮屋があります。

このお仮屋は手野の国造神社のお祭りが七月二六日に行われ、 明神様が お宮を発たれ

この お仮屋に 暫く休まれる所です。 このお仮屋の近くに 平日は誰も居ない所ですが

夜になると 何とも奇妙な 火が灯るのです。

 はじめは 一つ 灯ったかと思うと それがポカポカ ポカポカといくつもの火になって拡がり暫くすると ポカポカ ポカポカと 一つ ずつ消える。 消えてしまったかと思おうと また一つ ついて またポカポカ ポカポカとひろがる。又消える。 その火が灯って拡がる時は見事なもので、思わず見とれてしまいます。

 何の火だろう。 小さい頃で 父に尋ねると「多分狐の嫁入りだろう」というのですが今だに分からないままです。 随分 遠くから見るのですから怖くはないのですが、今は その辺も車が通る位の農道が通ったため、もうその火もみることも ありません。 

 

44 朝起き会の火玉 (実話)

          古城 東手野 山部 チモト

      

 私が小学生時代は 朝起会と言って朝六時頃から 部落の神社等に集まって みんなラジオ体操をしていました。 ある日の朝 少し早く集まり過ぎて、まだ外が暗かったので 拝殿に皆上がって 夜の明けるのを待っていた時の事です。 神社の屋根の軒に「ポカッ」と赤いものが浮かびました。

 皆一斉に「アッツ」と言う間もなく それが動き出し軒を伝って一周したかと思うと 上の方の山にあるお墓の方にふわり ふわりと行ってしまいました。

皆であれは 何だろうと言ったけれど 大きい男の子が「ありゃあ 死んだもんの火玉たい」

と言ったので 泣いてこわがる者もいましたが、 その日に近くの家の おばあさんが亡くなりました。 後で大人に話したら やっぱり死んだ人の魂がぬけたのだ そうです。

 

45 長い名前

 阿蘇の或る村に、働きものの夫婦が住んでおりました。長いこと子供がなかったのですが、やっと男の子が生まれて、二人は大そう喜びました。 「長生きするごつ、長い名前ばつくっとよかばい」 そう思って、「一九四九郎(いちくしくろう)、忠四九郎(ちゅうしくろう)、忠四郎別当(ちゅうしろうべつとう)、忠三郎(ちゅうさぶろう)、八八兵衛(はちはちべえ)、八兵平(やひようへい)、 十徳兵衛(じつとくべえ)、三兵平(さひようへい)」と、知っている名前を並べたててみました。「どの名前もよかごたる。さて、どれにしたもんか」と、迷っていましたが、いっそのこつ、全部にしよう、ということになりました。ちょうどその時、馬のいななきと、猫や、にわとりの鳴き声が聞こえてきたので、 「そうそう、これもいれようばい」といって、「ヒン、ニャン、ワン、コケコッコ」まで加えることにしたのです。 夫婦は、大そうこの子をかわいがって育てました。近所の子供達と遊ぶようになって、或る日のこと、この子が、川に落ちこみ流されて行きました。 友達の一人が、「一九四九郎忠四九郎忠四郎別当忠三郎八八兵衛八兵平十徳兵衛三兵平(いちくしくろうちゅうしくろうちゅうしろうべつとちゅうさぶろうはちはちべえやひようへい)ヒンニャンワンコケコッコしゃんげに行って、一九四九郎忠四九郎忠四郎別当忠三郎八八兵衛八兵平十徳兵衛三兵平ヒンニャンワンコケコッコしゃんが、川に落ちて流されたこつば知らせて来なっせ」と言いました。 友達がまた家に行って、長い名前を言った後、急を知らせました。 そうこうしているうちに、長い名前の子供は、川下の方ヘどんどん流されて行ってしまったと言う事です。


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