「黄塵荒ぶ」より 菅 半 作 菅半作は明治四十一年生れ。坂梨校には四年生 まで在学し、碩台佼にうつり、済々羊より五高を 経て、昭和七年京都帝大法学部卒。結婚後渡満して 生活必需品株式会社に入社、ハイラル・新京本社 などに転じた。二十年敗戦と共に会社は解散し、 菅一家は二男二女を連れて、生死の間をさまよっ た。二十一年よ少熊本にあり市役所、肥後相銀な どに勤め、三十八年に停年退職。現在は宅地建物 取引業を自営し、かたわら歌作に没頭している。 歌集「黄塵荒ぷ」は松村英一主宰の雑誌「国民 文学」 の第百二十九篇として、東京新星書房より 昨年暮れに発行されたばかりである。本年度第二 回県芸術文化振興助成金をうけた。 著者の処女歌集にして、収むる歌五百八十六首。 多くは前半生の異常な体験−それは餓死と凍死と 迫害から、わが身を守るたたかいであった−これ らの詠草を追い打ちされた熊本水害の泥土の中か ら掘りあげて、転記整理したものである。 ここには「山河」の章 二十一年九月より四 十年までーの中から、坂梨を詠じた十六首をかかげる。 生 還 耳聾いておはしし父に手をつきぬ 声出でがたし生きて還りきて さいはいは薄かりしかどかへりきて 畳に眠る父のかたはら 指さきにたしかむるごと探りゐつ 幾十日ぷりぞ細き畳の目 覚めて聴けば夜半の屋根うちて栗がとぷ 庭も垣戸も露ふかからむ 潮荒れのたなぞこ痛く汲む釣瓶 網しんしんと真水のにおい 奥阿蘇の山畠刈りて畝ごとに 高根がささふ唐きぴの茎 高はらの土鋤きおこすかたへ過ぎて 畠より拾ふ軽石ひとつ 今の世に見るものならず峠路に 萱干しあます蓑に編む萱 腰かけて燻べ足す風呂の釜口に 土はたきつつ黍の刈株 山のにおい 竹伐りにくだる裏谷ひる日なか 狐出でゐて面向けたる うめもどき土に凍みつく紅の実も ついばみ去るか鵯の鋭声は 節電の停電うけて阿蘇谷の ゆふべは暗しおそき夕餉の この部屋に炭つぎにきて燈ともさず 畳にしるき雪あかり踏む 竹山に雪のしづるる音つづき 今宵電燈しばしば暗む 在りし日に祖母が手に刺しし足袋の底 母より賜ふいまの子のために 唐きぴの荒き黄の粒母が手に まるめて円き餅ひとなりぬ |