八、坂梨を描く文学作品
童 話 (祭りだいこ) 高橋 佳也 短歌 (黄塵荒ぶ) 管 半作 随筆 (夢を辿る) 高瀬 毅 詩 (谷の鶯) 伊藤 直臣 感 想 (私の生活と芸術)高群 逸枝 紀 行 (桶の底) 小杉 放庵 紀行 (自然の息自然の声)若山 牧水 随筆 (予の詩と文章) 林田 亀太郎 小説 (忘れ得ぬ人々) 国木田独歩 小説 (阿蘇の煙) 徳富 蘇峰 和歌 (阿蘇布理) 高木 紫瞑 漠 詩 頼 山陽 紀 行 (西遊雑記) 古川 古松軒 (解説・・・…渡辺 文吉) 坂梨を書いた作品、十篇余をおくる。 古川古松軒の「西遊雑記」よ 、最近刊行された菅半 作の歌集「黄塵荒ぷ」まで百八十年のへだたri がある。 この中には、独歩の 「忘れえぬ人々」や日記のように、 文学史上重要な意味をもつものも含まれている。 坂梨と滝室坂−それは時に「坂梨嶺」 と呼ばれている。 坂をもつ宿場、東から来る者は、肥後入国の最初の町 であったし、去る者にほ肥後最後の、遠望する山の煙に も惜別の情を託した峠でもあった。 村上元三の出世作「佐々木小次郎」は、吉川英治の武 蔵に肉迫したものといわれるが、その中に次の場面があ る。 小次郎の剣法は、風が柳の葉をなぷるに似ている。 そして又、春の野を、そよそよと風が動くようでもあ る。そういって福岡黒田家の立花流の剣客が評したこ とがあつた。その、内に激夏至しい鋭さを含み、見た眼に は、やわらかで優美な小次郎の剣法の真随は、おそら く何人にも学び取ることのできないものに違いなかっ た。 それをいま小次郎は、寂しい、と感じはじめている。 ひとりで世の中にもまれている時には、これは無かっ た。剣法の師という立場に立ってみてはじめて、小次 郎が感じた寂寥であった。それは又、小次郎は、おの れの剣を通して、いままで見たこともない、べつの自 分を見たようにも思えた。 それが、そばについている島兵衛には、自分のこと のようにわかるのであつた。 「おのれの剣が、自分にも邪魔になりはじめた」 といって、宮地から東へ、豊後路に入るとき、小次 郎は島兵衛だけに、佗しげな微笑を見せた。 滝室坂の険を登る時は、誰も種々のことを考えさせら れている。もの思う坂であっセ。 牧水も、逸枝も、山陽も・・・・・。 めぐりあわせたふるさとの文学諸作品に、限りない愛 着を覚えるのである。 (敬称略す) |