自然の息自然の声
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「自然の息自然の声」より
                   若  山  牧  水

 若山牧水は明治十八年生れ−昭和三年九月十七日没。歌人。宮崎県東臼杵東郷村坪谷生。尾鈴山の北麓である。本名 繁。父は立蔵、母はマキ。祖父は埼玉県出。後年牧水は好んで、関東、東北の渓谷を歩いたが、その遠い因縁はここにもあった。(中略) 明治三十一年延岡中学に入学。早くから文責に心を寄せた。
校友会誌に短歌、俳句を発表、「中学世界」等に盛んに投稿した。三十七年中学卒業、上京して早稲田大学に入学、同級に北原白秋らがいた。四十一年大学卒業。直ちに第一歌集「海の声」を自費出版した。生涯十冊余の歌集、歌誌「創作」を出版。全集がある。(現代日本文学大事典) 次の一文は延岡中学四年生の秋、熊本の陸軍大演習の際、見学に来て (旅行を兼ね) の帰路のこ
とであろう、と後藤是山は語った。 私はよく山歩きをする。 それも秋から冬に移るころの、ちょうど紅葉が過ぎて漸くあたりがあらわになろうとする落葉のころの山が好きだ〇 (中略)

 火山の煙を見ることを私は好む。あれを見ていると、「現在」というものから解き放たれた心境を覚ゆる様である。心の輪郭が取り払われて、現在もない、過去もない、未来もない、唯だ無限の一部、無窮の一部として自分が存在している様な悠久さを覚ゆる。常にそうであるとは言わないが、折々そうした感じを 火山の煙に対して覚えたことがある。自然と一諸になって呼吸をしている様な心安さがそれである。心の、身体の、やり場ない寂しみがそれである。(中略)

 阿蘇山の太古の噴火口の跡だったという平原は今は一都か二郡に互った一大沃野となっている。この中央の一都会宮地町から豊後路へ出ようとして真直ぐの胆道を行くとやがて思いもかけぬ懸崖の根に行き当る。即ちこれが昔の噴火口の壁の一部であつたのだそうだ。私の通った時には、その崖には俥すら登ることが出来なかった。九十九折の急坂を登って行くと、路に山茶花の花が散っていた。息を切らしながら見上ぐると其処に一抱えもありそうなその古木が、今をさかりと淡紅の花をつけていたのである。私はいまだにこの山茶花の花を忘れない。そしてその崖を登り切ると其処にはまた眼も及ばない平野がかすかな傾斜を帯びて南面して押し下っていたのである。私はこの − たしか坂梨と云ったとおもう−を這い登る時に生れて初めての人間のなつかしさ自然の 偉大さを感じたのを覚えている。まだ十七・八才の頃であった。 

                      (牧水随筆選集 森の小径)