夢を辿る
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    高 瀬  毅  これは芝生きららのペンネームで、昭和十年前  後に郷土新聞に書かれた回想録である。 父は裁判所の監督書記、で入学は宮地校、坂梨校に は四年修業まで、その後鹿本郡山鹿小に転校した。 後、東京外国語学校を卒業してフランス戯曲を多 数ほんやくした。「報国の秋」その他がある。  この小学校(宮地)には一学期くらいいたか居ないか で、私は隣村の坂梨尋常小学校に転校した。この学校の 当時の光景は今でもハッキリ私の眼底にある。一昨年の 秋と昨年の六月中に、二回ほど豊肥線の車中から、この 壊しい母校の裏手を眺め私はこみあげてくる熱い涙を抑 えることが出来なかった。  車窓から遠望した所によると、この小学佼も、近代式 に拡張されて、すっかり昔の面影を失くしているように 思われた。平行棒や肋木なども整然と設備されて、校舎 の窓ガラスが雲母のように鋭く輝いていた。  この小学校の門前は、その当時桜の馬場になつていた。 相当年を経た老桜の枝や梢が、道の両側からトンネルの よぅに入り混っていた。校庭にも東側に数本の桜が並ん でいた。春、花時になると、まるで花の雪に包まれたよ うに華麗な情景を呈した。私達は各自家から針に糸を通 したものを持って来て、風に散りしく校庭の花びらを、 一枚一枚刺しては長い花びらの環をこしらえたりなどし たことなどを憶えている。  玄関の斜め右の所に大きな松の木が一本あった。たし か寒い二月の紀元節の朝だったと思う。この松の木に、 どこから出て来たのか大きな蛇(いわゆるエグチナワ) が一匹梢にまきついて、晴着の少年少女たちをさわがし た。それにしても、寒い冬の最中に、あの蛇は何を戸ま  どいして這い出して来たのかと今でも不思議に思う。  式の光景が印象ふかく私の脳裡にひそんでいる。全生 徒で二首そこそこだったと思う。二階の長椅子に八人ず  っ並んで腰かけて並んだ。寒いので皆んな手を摩擦して  いた。右手の窓から阿蘇山が手の届くほど真近に追って  いた。  その当時の校長先生の名前はたしか家入とかいったよ うに憶えている。校長先生の後から宮川先生、岩崎先生、 大山先生たちが入場される。と、一同シーンとなる。 「 校長開扉・・・一同最敬礼!」と宮川先生が宣せられると、 」皆んな起立して、頭を下げる。はかまをはいているので、 何だかきゆう届だ。校長先生が、おごそかな声で勅語を 奉読される。そして最後に声の調子を少し落して「明治  二十三年十月三十日・・・・」と続けて奉読され終ると、一 同首を上げる。と、そこからもここからも、すッすツと 洟をすすり込む音でひとしきり式場騒然。やがて校長先 生は、恭しく勅語を奉納し終られると、斜め左側のテー ブルの上に、今まではめていられた純白の手袋を脱いで、 キチンと重ね、一同を眺め渡したのち「え〜本日は、神 武天皇がみ位におのぼりになりましてから、丁度紀元二 千五百六十二年に相なるのであります。只今奉祝いたし ました勅語に・・」と、恭謙なる口調で諄々と講話され る校長先生の態度は、実に、神聖そのものであった。こ の校長先生も、その後伝え聞くところによると、既に他 界されたとかいうことである。中背の、どちらかといえ ばやせ形の、色白いひげの濃い、品のよい鉄ぷちのめが ねをかけておられたその面影が、かすかに記憶に残って る。          

 〇  二年の時、宮川という先生から教わった。名はたしか 熊喜といわれていたように思う。校庭の一隈に住宅があ って、そこに住んでいられた。奥さんは、小さな赤ちゃ んを抱いて、放課後など、よく教室にオルガンを弾きに 来ておられた。宮川先生は、かねて非常に優しい先生だ ったけれど、何か一旦怒られると、実にきぴしかった。 一度、ふとしたことから友達とけんかをして職員室に呼 ばれ、宮川先生の前に二人並んで立たせられ、突如、大 喝一声!右と左の掌で手風琴をひくような格好に、横ッ 面をはりとばされたことがある。少し口ひげのたれた、 蘇文の風ぽうのような印象が映焼きつけられている。

 ○  岩崎先生という若い先生がおられた。今から思うと、 やはり一種の青年文学愛好家だったと見えて、いろんな 面白いおとぎ話を聞かせて下すった。今でもその頃先生 から聞いた「吾吉さんの話」はハッキリ憶えていて、そ れを現在、自分の次男に話して開かしている自分を顧み ると、実際、今昔の感にたえない。  女の先生に大山先生という方がおられて、非常にお世 話になった。鼻の高い、眼のばっちりした、そしてはき はきした気性の人だった。ぽかぼかと暖かな春の日ざし の下で「桃から生れた桃太郎、気はやさしくて力持ち・・・ 」という遊ぎをしたものだ。習った唱歌で今でも憶えて  いるのは「庭には青葉の繁る頃、土の中よりはい出して、 なつが来たぞと、うたうは蝉よ」という童謡。このレコ ードをこどもたちが時々かける。それをきく度に、私は 大山先生を想い出す。